INTERVIEW
2018.01.10
作曲家 矢内景子が音楽とストーリーを手がける「ラファンドール国物語」。この画期的なプロジェクトを紐解くにあたり、矢内本人のパーソナリティを知ることがいちばんの近道であろうとインタビューを行った。彼女がどのような幼少期を送り、なにを考えて本作を世に問うたのか本インタビューから読み取ってもらいたい。
――音楽にしても物語にしても自身へのインプットが一定量を超えたことで行われると思うのですが、矢内さんはどのような幼少期を過ごされたのでしょう?
矢内景子 子供の頃から音楽だったり、お話を作ることが好きでした。音楽に対して言うと、当時まだカセットテープの時代で、自分で作った歌をカセットテープに録音してみようとか、ダブルデッキの片方で音楽を流して、そこにハモって録音してみようとか、パンパンってクラップを入れたりとか、デッキに向かって息を吹きかけながら移動すると風に聴こえるとか、そういうことをしていました。家に8ミリビデオがありまして、当時仕組みはわかってなかったんですけど、ぬいぐるみを動かして1秒撮る、動かして手を放して1秒撮る、と手が映らないけど動いているように見えて、パタパタアニメの原点みたいなことをやっていましたね、そういうことをすごく小さい頃からやっていて、絵本書いたりとかもすごく好きで、そういうものの延長に「ラファンドール国物語」もあるのかなと思っています。
――幼いころからクリエイティブだったわけですね。
矢内 そうですね。そういうアナログなところから始まり、小6の時に親の仕事の都合でイギリスに引っ越したんですけど、最初って友達がいないじゃないですか。英語もしゃべれないからやることがなくて。家に古いPCがあって、それを使ってホームページの真似事を始めたんです。最初は日本の情報が知りたい、日本の友達と繋がりたいという想いからでした。当時ジオシティーズというホームページプロバイダーがあって。BBSでみんなと情報交換するということを覚えました。それで日本で流行っている音楽や漫画の情報を集めていましたね。3か月遅れくらいで「ワンピース」と「NARUTO」はイギリスにも来るので、それを読んでいるうちに、「ワンピース」の情報を知りたいとか、そういうことをいろいろやっていたら自分のページが持ちたくなって。持ったら今度はページの背景が、プリセットにない柄の人がいることに気が付き。どうやってやるんだろうと調べて写真をあげられるようになったり、タグというものをいじれば、自分で文字を動かせるらしいと学んでいったりして、そこで行きついたのが、Windowsの初期設定に入っているメモ帳にHTMLというものを打つとHPがゼロから作れるらしいというところです。だんだんデジタルに移行していったのが、小6から中学の間で。当時ジオシティーズで素材屋さんというのもあって、良く調べたらそれはWindowsのペイントというソフトで作れるらしいと知って作り始めたりとか。ゲームボーイカラーを虫眼鏡で観るとドットが数えられるんですけど、それでキャラをドットで再現したりとか、中学でどんどんオタクっぽくなっていったんです。
――それまではあまりオタクっぽくなかったんでしょうか?
矢内 家が厳しくて……。ゲームは1日30分というルールがありまして。私「ドラゴンクエスト」で言うと「モンスターズ」世代なんですよ。育成がメインとなるゲームですから、友達とすごくやりたい、けどできない。ということで最初はトイレに籠ってやってたんですけど、さすがにバレるじゃないですか。でもなんとか持ち込んで、トイレのときとか、寝るときにこっそりマンガ読んだりアニメ見たり、ゲームやってたりしていました。親に完全に隠れてしていたので、私がゲーム好きなのは知らなかったと思います。中学の頃はイギリスに住んでいて、友達もいなくてかわいそうということでゲームもやらせてもらっていました。時代的にはプレイステーションとかゲームキューブですね。その後、日本の女子高生になりたくて日本にひとりで帰ってきて。ひとり暮らしなので、ゲームもやり放題ですし、マンガも読み放題、音楽も聴き放題で。バンド練習で制服着て終電で帰ってきたり。そんな音楽生活もし始めました。元々音楽はクラシックを学んでいて、イギリスにいる間は、BBC主催のナショナルチルドレンオーケストラという国代表の子供たちをイギリス全土から集めてオーケストラを編成して行脚するというものがあって、オーディションに受かってヴァイオリンでオケに入ったりもしました。小学校の頃は、そこそこプロ志向だったので(笑)、コンクールの前は学校を休むとか。1週間休んで1日何時間も、指から血が出ても練習を続けるということもありました。
――ハードなトレーニングは音楽系あるあるですよね。
矢内 そうですよね。今でも基礎をやっていてよかったと思いますけど、それまでの反動かポップスとか歌がやりたいという想いもすごくあったので、日本に帰ってきて自由になってからはバンドに挑戦しました。でもヴァイオリンも好きだったので、ヴァイオリンとポップスを融合できないかと思って高校のころからいろいろ活動してました。当時デビューのお話をいただいたりもしていたんですが、あまり乗り気になれなくて。今の事務所のメンバーと会ったときに、もともと音楽だけをやってる会社ではなかったんですが、人と人が信頼し合って一緒に物を作るってこういうことだとすごく感じて。ここでみんなと一緒に作ろうといっていろいろやってきて、最終的に私の中で、私のプロジェクトとして出来上がったのが「ラファンドール国物語」だったんです。どちらかというと物を作るというところにすごく意味を感じていて、音楽とかお話に縛られずに何かを作るということに集約していきたいと思っていたんですよね。
――クリエイティビティにあふれていらっしゃいますが、ほかにも作りたいものはありますか?
矢内 何でも作ることは楽しいですよね。私は映像もWEBも作りますし、音楽も作るし歌うし、編み物とか服も昔は作ってました。あとは家を建てるくらいでしょうか?(笑)。映画とかもすごく興味あります。とはいえ、趣味で自分が作りたいものを作るよりは、最終的に人と人との接し合いのために物を作っていて、何かが生まれるという中にコミュニケーションや人との繋がりができると思っています。イギリスに行ったことやこれまでの環境が複雑で、人を信じられない時期が長かったんです。もちろん誰かの相談は受けるけど自分が相談することは迷惑だと思ってたり、他人なんか信じられないとずっと思っていて。仕事をしているとそれでも信じられるものや返ってくるものがあるじゃないですか。そういうもののためにお仕事をしていて、お仕事は私にとって社会とつながるためのものであって、そこで私ができることは物を作ることだから、私が作ったものを通して誰かが聴いてくれて、良くも悪くも感想をくれて初めてその作品のスタートだなって思っています。ですから自分が作りたいものをただ作るのではなくて、自分の想いを貫きつつ、ちゃんと人に届くもの、誰かが喜んでくれるもの、それはお客さんだったり一緒に作ってるメンバーだったりですが、誰かのために作りたいという想いが強くて。だから「こういうものを作って欲しい」という世の中の空気を感じていたいと思っています。
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