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INTERVIEW

2023.09.13

【連載】アニソン野外フェス「ナガノアニエラフェスタ2023」突撃!開催前インタビュー 最終回:コバヤシリョウ(アニエラ代表)×荻野晃平(OUT LOUD FACTRY)――地域と融和した唯一無二の野外フェスのこだわり

【連載】アニソン野外フェス「ナガノアニエラフェスタ2023」突撃!開催前インタビュー 最終回:コバヤシリョウ(アニエラ代表)×荻野晃平(OUT LOUD FACTRY)――地域と融和した唯一無二の野外フェスのこだわり

長野県佐久市にて開催される野外アニソンフェス“ナガノアニエラフェスタ2023”の出演アーティストに、イベントの魅力を聞く連載シリーズもいよいよ最終回。連載の最後を飾るのは株式会社アニエラ代表・コバヤシリョウと、2017年の立ち上げから現在まで“アニエラ”の運営に携わってきた株式会社OUT LOUD FACTRY・荻野晃平に話を聞いた。ゼロからのスタートから始まった長野のフェスが、存続の危機を超えて日本有数のフェスへと成長していった過程に迫る。

INTERVIEW & TEXT BY 澄川龍一

自然の中でアニソンフェスをやりたい想いはずっとあった(コバヤシ)

ーー今年も開催目前となった“ナガノアニエラフェスタ2023”の、立ち上げから携わるお二人にこれまでの“アニエラ”を振り返っていただきます。と、その前に“アニエラ”以前の長野のアニソンイベントシーンはどのような感じだったのでしょうか?

コバヤシリョウ 仲間内で、2009年に長野県で今もやっているアニソンクラブイベント(以下、アニクラ)を初めて開催したんです。そのイベントが長野で行われるアニソンイベントの初期の頃だったかなと思います。

ーーなるほど。同時期にも東京や大阪、名古屋でもアニクラが盛り上がっていましたが、そうした流れのなかで名古屋でもアニソンイベントが開催されていたと。

コバヤシ 当時mixiがまだあった頃に、そのコミュニティの友達に名古屋のイベントに誘われたんですよね。それが僕にとってのアニクラ初体験というか、当時一緒にDJしていた友達と一緒に行ったんですけど衝撃を受けて、それを長野県に輸入してきた、みたいな感じでしたね。

株式会社アニエラ代表・コバヤシリョウ

株式会社アニエラ代表・コバヤシリョウ

ーー一方荻野さんは当時はいかがでしたか?

荻野晃平 僕は当時、そこまでオタクを公言していなかったんですけど、毎日家に帰ったら深夜アニメはチェックしてる隠れオタクでして。

コバヤシ 初耳なんだけど、そうだったの!?

荻野 僕が当時好きだったのは『灼眼のシャナ』でした。

コバヤシ 良いねえ(笑)。

荻野 その頃僕が上京してアニメを観始めて、いわゆるアニソンイベントと関わりができたのは、僕が当時勤めていた会社で”Re:animation”(2010年から2019年まで都内を中心に開催されていたアニクライベント)の第3回か第4回のお仕事をしたことが始まりで。それまではクラブってちょっと強面な人たちのものってイメージがあったんですけど、そこではオタクの皆さんが集まってアニソンを聴きながらめちゃめちゃ楽しそうにしてる景色がすごく良くて……そこが自分的にはアニソンイベントの原風景でしたね。

株式会社OUT LOUD FACTRY・荻野晃平

株式会社OUT LOUD FACTRY・荻野晃平

ーーそうした2000年代末から2010年代にかけてのアニソンイベントでの体験が、後の“アニエラ”に繋がっていくわけですね。そこから2017年に“アニエラ”が初開催となるわけですが、いわゆるDJたちがメインとなるアニクラに対して、“アニエラ”では初回からきただにひろしさんや米倉千尋さん、橋本みゆきさんといった大御所のアーティストを含むフェスとなりました。コバヤシさんの中でも「フェスをやりたい」という想いがあったんでしょうか?

コバヤシ 新木場ageHaで開催されていた「あきねっと」という秋葉原MOGRA主催のイベントがあったですが、それが始めたいと思ったきっかけだったんですよね。これがライブとDJの融合しているイベントで、すごく衝撃を受け、長野の野外でこれやってみたいと思ったんです。そこから、当時すでに開催されていた”Re:animation”さんを参考にさせていただきました。僕も荻野くんも地元が長野県ということもあったので、自然の中でアニソンフェスをやりたいなという想いはずっとあって。それで会社を立ち上げたときに、よしやってみようと思い、開催に至りました。

ーーそれこそ初期のアーティストブッキングはどうだったのかなと。最初からスムーズだったのか……。

コバヤシ いえ、まったくスムーズじゃなかったですね。そもそも長野県を起点としてのスタートで、当時コネクションもほぼ持っていない状態だったので、とにかくアーティストの公式HPの問い合わせから連絡しまくっていました。

ーーたしかにツテも実績もないなかでのオファーはなかなかハードルが高そうなイメージがあります。

コバヤシ いやあ、本当に「なんだこいつは?」みたいな感じだったと思います(苦笑)。ノウハウもないし、今思うと失礼だったんじゃないかなと思うんですけど、とにかく熱量だけでガムシャラに。あと、荻野くんが少し“Re:animation”に携わっていたこともあったので、そこで少しずつノウハウを聞きながらやっていましたね。

荻野 アーティストさんのHPから問い合わせをコバヤシ社長が入れていたところで、これからどうやってやり取りをしていくべきか、のような相談を受けたところから、僕の“アニエラ”との関わりが始まりました。

コバヤシ 僕ら社員もスタッフのみんなも含め素人の集まりで、荻野くんしかわかっていないことが多かったから、なんとか事故なく終わったという感じでしたね。でも、とにかくスタッフのモチベーションがすごく高かったので、僕らからも「こうしたほうがいいよ、こうしてください」と伝えたことを全員がきっちりとこなしてくれたこともあり、大きな事故なくなんとか終われたっていう。

ーー加えて初回の白馬(岩岳スノーフィールド)から“アニエラ”は野外開催だったので、天候との戦いでもあったと思いますし……。

コバヤシ 当時は「とりあえず山があるし、大丈夫だろう」って思っていて、今考えると相当怖いんですけど(笑)。あのとき知識があったら色々解決策があったかもしれないんですけど、その当時はわからないことが多すぎて。当時の白馬の運営チームとも話し合っての結果だったんですけど、当日の朝に「天候不良でゴンドラ動かない」という話になって。本当はゴンドラで登って行った先にメインステージを組む予定だったんですけど、ゴンドラが動かないから上に行けないということになり……あれは前日に全部会場マップを変えたんだよね?

荻野 前日に全部変えましたね。

コバヤシ ゴンドラ動かないから、麓で全部のステージをやっていこう、と。

初年度ステージ

初年度ステージ

ーー本来はゴンドラに乗って麓と頂上のステージを回遊できる構想だったんですね。そうした自然のトラブルがあるのもフェスの怖さでもありますが、いずれにせよ初回をやり切ったという達成感は大きかったですか?

コバヤシ いやぁ、達成感はエグかったですね。たしか、終わったあとに荻野くんとハイタッチした記憶あるもんね(笑)。

荻野 あー、そんな気がする。あと、リョウくんと白馬の担当者さんが抱き合ってたのを覚えている(笑)。

ーーエモいですね(笑)。

コバヤシ 今考えると恥ずかしいですけど、達成感はありましたね。無事開催できて良かった。

不便なところを長野を感じてもらうことで補っている(荻野)

ーーそうした初回を経て、翌2018年には第2回が開催されましたが、それは早い段階から決まっていたんですか?

コバヤシ そうですね。そもそも毎年やるつもりで1回目をやっていたので。初回の反省点が山ほどあったので、そういう部分も改善しながら翌年に臨んでいきました。

ーーその翌年から現在まで、コロナ禍での中止はありながらも継続されていくフェスとなった“アニエラ”ですが、継続してアーティストに来てもらうためにお二人が大事にしていることはなんですか?

コバヤシ アーティストさんに対して意識していることは、“気持ち良く歌って帰ってもらう”ことですね。そもそも長野県で開催してるので、やっぱり自分たちの地元を楽しんで帰ってもらいたいんですよね。仕事として来ていただいているなかでも、例えば初年度は楽屋に名物のおやきを置いたりとか、長野を少しでも感じて帰っていただけたら、という部分は意識してやっていました。僕はもうそのくらいで、多分荻野くんのほうがそういう細かいところのケアが強いのかなと。

荻野 長野でやるということは、予算の都合で、普段のように設備をフル装備にすることは難しくて、となると不便なことは絶対に間違いないし、そこにはストレスが存在するはずなんですよね。なので、そういうところでも楽しんでもらうというか、コバヤシさんが言うように、長野を感じてもらうことで補っている感覚はあります。

ーーなるほど、野外ということも含めて設備が完璧にならない部分を補って余りあるホスピタリティというのは、過去に出演されたアーティストからもお話を聞きます。一方で、毎年開催されるなかでフェスとして巨大化していくわけですが、それに伴って現在は気を配ることも増えていったのかなと。

コバヤシ そうですね。今は鬼ほど増えてるんじゃないですか。

荻野 うん、鬼ほど増えましたね(笑)。

コバヤシ 規模も大きくなったっていうのもあるし、出演されるアーティストの方々も増えて、そもそも開催が2日間になったっていうのは大きいですよね。2019年までは1日だけだったので、2日となるとアーティスト数も倍になりますし、世のフェスの主催の方々は本当に大変だったんだなっていうのも、ひしひしと感じています。

ーー今は都市型のフェスと同様のケアが必要なくらいイベントの規模も巨大化したということですよね。そのなかでも“長野らしさ”や“アニエラらしさ“というものはしっかり残されていて、特にそれを感じられるのはお客さんの層ですよね。子供から大人まで、非常に幅広い層の来場があるところが特徴的かなと。

コバヤシ そうですね。会場が公園なので、普段利用されている方も来られるんですよね。あと近場にマレットゴルフ(木槌を使ったコンパクトなゴルフ)場とかもあって、そこでおじいちゃんおばあちゃんは早朝7時とかからゴルフをやられていて。そこはある種、駒場公園の味の1つとして捉えていて、当然運営チームとしてそこのケアをすることもあるんですけど、逆に良い雰囲気だなと。たしか2018年か2019年に近所に散歩に来ていたおばあちゃんが、当時はあった無料のDJブースに来て、そのDJが終わったあとに「あんた、良かったよ」って飴玉を渡してくれるっていうエピソードがあったんです。そういう瞬間を見ると、すごくほっこりしますね。

ーー駒場公園あるいは地域と融和したフェスという、ほかにはない形も大きな魅力ですよね。さて、そんな“アニエラ”が2020、2021年と新型コロナウィルスの影響で開催できなかった時期がありました。フェスを運営する立場として、あの2年間はどんな想いで過ごされていましたか?

コバヤシ もう、全然思い出したくない記憶ですね……。

ーー元々は2020年9月に予定したものを2021年に延期したのが、それも開催できずに中止となったわけですよね。

コバヤシ たしか、2020年は早い段階で中止の決定をしてたよね?

荻野 そう。ゴールデンウィーク明けには延期を決定していた気がする。

コバヤシ 何が起きているのかまったくわからない状況且つ、色んな人を巻き込んで動いていくうえでの難しさなどを考慮して結構早めに判断をしました。2021年は、毎年来てくれているお客さんや楽しみにしてくれてる方たちに2年間もイベントを届けられないのは嫌だと思って、様々な対策を考えながら進めていたんですよ。でもその頃に感染対策に対してルールが厳守されなかった公演などの報道があり、8月からフェス開催への風当たりが強くなっていったんですよね。

ーータイミング的に、フェスを行える雰囲気ではなかったですよね。

コバヤシ それまでは行政とも話をしながら「こういう感じでやっていきます」と進めてきたんですけど、あの辺りで一気に空気が変わって、多方面より公演に関する様々な意見などが届いて。僕らも、ここまで来ちゃったらさすがに難しいだろうということで中止せざるを得なかったんですよね。

荻野 2020年はライブやイベントなど予定されていたほとんどのものが中止になったりして、成立するのは配信だけという状況が多くて。2021年は少しずつ復活はしてましたけど、大きなフェスを実施するとなると計画があってもことごとく中止が続いた流れのなかで、特に一番厳しかったのが“アニエラ”の中止判断をした時期でしたね。

ーーそうした危機的状況を耐えて、2022年には久々の開催となりました。やっとフェスを開催できたときの想いはいかがでしたか?

コバヤシ 「やっとできたな」というのと、当日バチバチに晴れたんですよ。毎年天気が良くなかったので、すごく嬉しかったですね。あと毎年言っているんですけど、イベント前の今とかめちゃくちゃ大変で、荻野くんもヒイヒイ言っているところなんですけど(笑)、毎年この時期「もうやめたい!」って思うくらいしんどいのに、当日お客さんがアニソンや信州の食べ物、地酒を楽しんでいる姿を見ると、そんな想いも吹っ飛んで「来年もやろう!」って気持ちになるんですよね。特に2022年はその想いが強かった。コロナ渦もきつかったけど、頑張って耐えて良かったなと思いますね。

荻野 僕は2021年の「中止の判断をします」という日も、駒場公園の内覧に行っていたんですよ。お客さんの新しい入れ方をシミュレーションしよう、ということで。結局そこまでやったことが形にならずに1年間できなかったことが、やっと去年に開催できて、形になった嬉しさは大きかったですね。

“自分だけの夏の終わりの思い出”になったら(コバヤシ)

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