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2023.01.18

【連載】Anisong Giants -アニメ音楽の巨人たち- 第11回:水木一郎

【連載】Anisong Giants -アニメ音楽の巨人たち- 第11回:水木一郎

歌手、作曲家、作詞家、声優アーティスト――アニメ音楽の歴史に名を刻む偉大なる存在(=巨人)のキャリアと功績を紹介する連載「Anisong Giants -アニメ音楽の巨人たち-」。第11回は、2022年12月6日に惜しくもこの世を去った歌手・水木一郎をフィーチャー。

アニソンデビュー作となった『原始少年リュウ』を皮切りに、『マジンガーZ』『バビル2世』『宇宙の騎士テッカマン』『宇宙海賊キャプテンハーロック』『ルパン三世』『プロゴルファー猿』といったアニメ作品の主題歌、そして「仮面ライダー」シリーズや「ウルトラマン」シリーズなど数多くの特撮ソングを歌い、全世界に向けてその魅力を発信し続けた「アニキ」のジャイアントステップに迫る!

TEXT BY 不破了三

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【連載】Anisong Giants -アニメ音楽の巨人たち-

水木一郎

水木一郎

2022年の暮れも近づく12月6日、アニキの愛称で親しまれたアニメソングの帝王、水木一郎さんが世を去った。日本のTVアニメの黎明期から「主題歌」という番組の顔を担い続けてきたアニメソング歌手の草分けであり、死の直前までそのアニメソング歌手であり続けることを望んだ「生涯現役」の人だった。「ゼーット!」の雄たけびとともに知られる代表曲「マジンガーZ」を筆頭に、数々のアニメ・特撮ソングや、子ども番組・童謡などのキッズソングを歌い続け、1999年には前人未到の「24時間1000曲ライブ」を成功させるなど、生涯にわたって積み重ねた持ち歌は、ゆうに1200曲を超えるという。2022年7月にがん闘病中であることを公表しながらも、病に立ち向かう強い意志を示して生涯を全うした彼の姿に、心を強く動かされた方も多いはず。今回は、そんな水木一郎が自ら切り開き、力強く踏みしめながら歩んできたアニメソングの「道」を振り返ってみたい。

歌手を夢見た少年時代

水木一郎は1948年東京都生まれ。実家がレコード店を経営していたため、幼少期より常に身近に音楽があったという。特に洋楽と触れ合う時期が早く、母親が大切にしていたスタンダードジャズのレコードと、終戦後、洋楽が解禁となったラジオから流れてくる音楽を浴びるように聴いていたのが原体験。5歳の頃にはすでに歌手になりたいと思うようになっていたとのこと。小学生の頃には、ニール・セダカやポール・アンカ、エルヴィス・プレスリーなどアメリカンポップスの時代が到来。「ザ・ヒットパレード」(フジテレビ:1959~1970年)のような音楽番組も始まるが、まだまだ日本製のポップスソングが少なく、番組中も洋楽のカバーが頻繁に歌われていた時期だった。「カバーを歌えてこそ一人前の歌手」……そう信じた水木少年は、あらゆる洋楽歌手の発声、発音、歌い回しを研究し、その歌手になりきって演じて歌うことを心掛けながら歌の腕を磨いていったと、後に語っている。

入り浸っていたジャズ喫茶から生まれた縁で16歳の時にオーディションに出場し、ジョニー・シンバルの「Marshmallow」(邦題「僕のマシュマロちゃん」)を歌ってグランプリを獲得。その優勝をきっかけにレコーディングの話が舞い込み、アメリカのTV西部劇「シェナンドー」のテーマを17歳で初レコーディングしている。しかしこれは販促用ソノシートのため正式なレコードデビューとはならず、1965年、改めて作曲家・和田香苗の門下に入っている。レッスンを受けつつ下積み時代を過ごし、ついに1968年にコロムビアレコードからカンツォーネ風の歌謡曲「君にささげる僕の歌」で念願のデビューを果たしている。水木一郎20歳の夏のことだった。

アニメソングとの出会い

デビューはしたものの、レコードセールスも芳しくなく、子どもの頃から憧れていた洋楽ポップスとは違う歌謡曲の世界に違和感を覚えていたという水木。歌手を引退し、作曲家になろうかと考え始めていた矢先、所属する日本コロムビアからアニメ専門の歌手を育てたいと声がかかり、TVアニメ『原始少年リュウ』(1971年)の主題歌「原始少年リュウが行く」をレコーディング。これがアニメソング歌手・水木一郎の最初の一歩となった。当時アニメは「テレビまんが」と呼ばれ、音楽業界では子ども向けの一段ランクの低い仕事として扱われることも珍しくなかった。しかし、水木は意に介さず、持ち前の洋楽志向に重なる外国映画主題歌のようなかっこよさに惚れ込み、「自分の声にもピッタリ合っていたので本当に気持ちよく歌わせてもらった」と、当時を振り返っている。

水木がアニメソングという新しい道への岐路に立った時、洋楽を聴き込み、カバーし、歌い込んできた子どもの頃からの経験が大いに役立ったのだという。洋楽の場合、オリジナル歌手のイメージを掴めば、ある程度「演じて」歌うことができる。アニメソングにはオリジナル歌手はいないが「ヒーロー」というお手本がある。主人公になりきり、歌で演じればいいんだ……と悟ったとき、「オレの行く道はコレだ!」と心が決まったと水木は語っている。子どもの頃から慣れ親しんできた「洋楽の歌手をお手本に、演じて歌う」という彼の音楽的なルーツとアニメソングの世界は、運命的な感覚の一致によって祝福されていたのだ。ここから、少年たちの心を掴んで離さない、「アニメソング歌手・水木一郎」の快進撃がスタートする。

「テレビまんが」の時代を築く歌声

その後も、数えきれないほどのヒーローを「歌で演じて」いくことになる水木。そのブレイクスルーとなったのは、冒頭でも紹介したとおり、誰もが知る代表曲でもある『マジンガーZ』(1972年)の主題歌「マジンガーZ」だ。『原始少年リュウ』でのデビューから約1年後に、この大ヒット曲と出会ったことが、水木のアニメソング歌手としての方向性を決定づけたと言っても過言ではないだろう。主題歌「マジンガーZ」の誕生に際しては、すでにレコーディングされていた予定曲が、プロデューサーの「パンチが足りない」の一声で不採用となり、放送に間に合わせるために急遽三日間で作り上げられたというエピソードが残っている。水木一郎不変の代表曲であり、ヨーロッパを中心に世界中の人々が声を合わせて歌う、あの名曲「マジンガーZ」が、急造された代替品だったというのは衝撃的だ。しかし、本当に驚くべきなのは、50年以上にわたって世界で愛される歌をわずか三日間で完成させた、作曲家・渡辺宙明や水木をはじめとする制作スタッフの熱意と対応力、そして一切の妥協を感じない「マジンガーZ」の完成度と歌の持つ力だろう。実際、主題歌「マジンガーZ」は当時約70万枚のセールスを記録。これを1973年の年間オリコンシングルチャートと並べてみると、第4位の売り上げ枚数に相当する。当時は「テレビまんがの歌手」と冷ややかな目で見られ、不当な扱いを受けることもあったと水木も告白しているが、この頃、テレビまんがの歌はチャート対象外だったため記録には残りにくいものの、実際は歌謡曲やポップスにまったく引けを取らない……どころか、それを凌駕する勢いでレコードを売り上げ、レコード会社を支えていたのだ。「マジンガーZ」の70万枚という実績は、テレビまんがの歌への不当な評価を跳ね返すのに十分な実績であり、彼の歌声が本当に多くの子どもたちの心に届いていたことの、なによりの証拠でもある。

「キッズソング」のパイオニアという一面

「マジンガーZ」に続く数々のアニメソング・特撮ソングにより、1970年代は、テレビから水木一郎の声が流れない日はないほどの活躍が続いていく。アニメソングデビューから最初の4年間で、約150曲の主題歌・挿入歌を発表し、レコード売上は平均約10万枚、累計では約600万枚に達したという。そんな忙しい毎日ではあるが、水木はまた1つの新たな道に挑み始める。1976年4月から3年間、NHKの子ども番組「おかあさんといっしょ」において、二代目「うたのおにいさん」を務めたのだ。「そうだったらいいのにな」「ねんねこうたうねこのうた」「シッポのちぎれたメダカ」「ちょんまげマーチ」、そして「ゴロンタ音頭」など、数々の新童謡をテレビを通じて子どもたちの耳に届けていった。しかし水木のキッズソングは「おかあさんといっしょ」の3年間に留まらず、NHK「みんなのうた」、日本テレビ「おはよう!こどもショー」(1965~1980年)、東京12チャンネル「ワイワイ軍団900」(1976~1977年)、NHK「むしむしQ」(1995~1998年)、「あにまるQ」(1996~1998年)、関西テレビ「デコボコーン!」(2012~2013年)などの番組でも披露されている。また、所属する日本コロムビアのアニメソング担当部署は、そもそも童謡や行進曲、体操、運動会、お遊戯などの子ども用教材レコードを担当する部署でもあり、専属歌手だった水木が歌った「テレビで流れていないキッズソング」も無数に存在している。これらの楽曲は、2011年から発売されたCD『水木一郎 キッズ ソング・ベスト!』シリーズ(※別掲のディスクガイド参照)として、2枚組CD×3セット、総計161曲にもおよぶ大ボリュームでまとめられている。キッズソングシンガーとして関わった番組も多岐にわたり、かつ、活動歴も長大であるため、ある意味、アニメソング歌手としての水木に馴染みがなくとも、子どもの頃、知らず知らずのうちに彼が歌うキッズソングに触れていた人たちは、さらに多く、さらに広い世代にわたっているはずである。「熱いヒーローソング歌手のアニキ」のイメージが強い水木だが、子どもたちのために歌い続けた、永遠の「うたのおにいさん」でもあったという一面は、どうか覚えておいていただきたい。

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