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INTERVIEW

2022.03.21

【連載】テクノロイド 徹底解剖! ~MUSIC LABO~ 第1回目:RUCCA「テクノロイド」の世界観を紐解く――。

【連載】テクノロイド 徹底解剖! ~MUSIC LABO~ 第1回目:RUCCA「テクノロイド」の世界観を紐解く――。

上松範康×RUCCA×Elements Gardenが贈る、新世代メディアミックスプロジェクト『テクノロイド』。上松といえば、大人気コンテンツ『うたの☆プリンスさまっ♪』シリーズや『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズ、最近では『ヴィジュアルプリズン』の生みの親でもある気鋭のクリエイター。そしてKAT-TUNや嵐、King&Princeの楽曲をはじめ、下野紘や蒼井翔太らの曲の作詞でも知られるRUCCA、さらに上松率いるElements Gardenとでタッグを組んで生み出した新たなコンテンツは、切なくも美しい、アンドロイドたちの物語を描くものに。

今年1月にAPPゲームがリリースされ、ゲーム画面からタイトルが示すようにテクノミュージックが流れ出す。近未来サウンドともいえる楽曲にアンドロイドたちの歌が重なり、心惹かれるユーザー続出中の『テクノロイド』は、7月にはアニメ化も発表されている。そんな『テクノロイド』を、リスアニ!は徹底解剖!まずは生みの親の1人であるRUCCAに話を聞き、本連載の扉を開く。

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【連載】テクノロイド 徹底解剖! ~MUSIC LABO~


人とは違うことがやりたい。飛び込んだ「作詞家」は自分に向いていた。

――まずはRUCCAさんが現在のお仕事をするようになったきっかけを教えてください。

RUCCA 文系の4年制大学を卒業したのですが、僕は就職を選ばなかったんです。なぜ僕がそういう選択をしたかというと、「作詞家になろう」と大学在学中の20歳の頃には決めていたからで。非常に教育熱心な父親の元で育ったのですが、父親が「これをやれ」と言ったことに対してことごとく反対の道を選ぶタイプでもあったんです(笑)。音楽については中学時代のバンドブームに乗って、お小遣いを貯めて買ったギターでコピーバンド活動も齧ったのですが、何年か続けてみると自分に才能があるかないかは自覚していくもので。音楽をやりたいという想いと、自分にそれが向いているかいないかは違うものなんだということに気づいてもいたんです。だからといって父親が言うように就職をしてひたすら出世を目指すような生き方をして、父親を超えることもできないとも思った……そういう流れがあったうえで、まったく違うことで認められるような職業はなんだろうかと考えたときに、音楽をやるのは楽しかったなと思い、それを突き詰めたところで「作詞家」という夢に出会ったんです。

――「作詞家」になるためにはどんなことをされたのでしょうか。

RUCCA もちろん最初から上手くいくはずもなくて…。大学を卒業した年の6月に音楽制作会社と「作詞家」として契約をしたんです。そこからはコンペを受け続けるという流れだったのですが、フリーターをしながらそれを続けて、100曲くらい出したときに初めて歌詞が採用されました。事務所に所属して1年弱くらいの時期でしたね。とはいえ、それだけで食べられるようになるわけではないですし、続ければ続けるほど「作詞家ってこんなに儲からないのか」という事実を目の当たりにしました。でも自分の周りは社会人として何年も働いているうちにどんどん立派になっていく。そういう人たちと比べながら、自分の生き方についても「これでいいのかな」という迷いは、20代の頃はありました。作詞家という職業自体は、親が「まっとうな会社員になれ」というレールを敷いてくれたことに反して選んだ道ですが、最終的にその「作詞家」が自分に向いていたということに関しては、心底運が良かったなと思っています。

RUCCA

――作詞家になられてから数多くの歌詞を書かれていらっしゃいますが、そんなRUCCAさんの歌詞のカラーを教えてください。

RUCCA 作詞家になった経緯からもわかっていただけると思いますが、僕、ちょっと変わり者で(笑)。ほかの人が書けない歌詞を書きたい、というのが大前提にあります。そもそも作詞家を選んだのも、「ほかの人ができないような仕事をしたい」という前提がありましたし、元々父親の言葉の逆をやろうとしていたという性格が大元にあるので、それを作詞に落とし込んだときにどうしていたかと言うと、ほかの人が書かないような切り口で書き始めないと、と。コンペのときに「こういう方向性で書いてくれ」という依頼が発注書にあるんです。その要望通りにコンペの参加者の多くは書くんですけど、野球に例えるとストライクゾーンの中心に近い場所に速い球を投げた人が勝ってしまう。みんな、同じ球を投げますから。でも新人には、どうやってもそんな豪速球を投げることなんてできない。でもこの発注書に書かれている文言の示すストライクゾーンって、本当はもうちょっと広いんじゃないかって、疑っていて(笑)。それで、ほかの人が投げないような角度で、ストライクゾーンのめちゃめちゃギリギリの場所に投げてみようと思って書いていたんです。これは仮定ですが、当時の僕がたまたまド真ん中に投げられたとしても、ほかの人に決まったときのド真ん中・豪速球と比べたら、大した印象が残らなかったと思うんです。歌詞の内容も作詞者としての名前も。でも捻くれた場所に投げた歌詞で決まった場合は「変な奴がいたな」ってことで名前や歌詞も印象として残っていって、それが続くことで「あの変化球を投げてきた奴に」と決め打ち(指名での作詞依頼)で話がくるようになるんじゃないかって企んで、最初から狙って作っていたんです。結果、今ではコンペは年間でも数パーセントで、ほとんどを決め打ちでやらせてもらっています。15年くらい前に考えた作戦ではありましたが、そこには意味があったと思いますね。以前、J-POPにありがちな表現というのが出たことがありましたよね、「翼広げすぎ」「心震えすぎ」みたいな(笑)。そういうフレーズを書く必要性というのは時としてあるんですが、やはり全体の切り口としては新しさがないといけない。その人だからこそ書ける言葉でなくては、という意味を持たせたいとやってきましたし、今もそう心がけてやっていますね。

音楽シーンに深く繋がっていくきっかけと『テクノロイド』への道筋。

――ご自身の中で印象深かった楽曲はありますか?

RUCCA 少し前ですが、「アイドリング!!!」というアイドルがいたんです。当時はAKB48とアイドリング!!!、どっちが売れるか!?というくらいのときで。そのときに彼女たちの2ndシングル「Snow celebration」の歌詞を書かせていただきました。まだアニソンやゲーム楽曲しか書いた経験がない頃だったのですが、その際に楽曲を作っていたのがDo As Infinityの元メンバーで浜崎あゆみさんの楽曲も多く手がけられていたD・A・Iさんで。まだ作詞家として駆け出しの頃の僕は公私にわたってD・A・Iさんにお世話になりまして、特に僕の書く歌詞に対して、「こういう要素が足りないんじゃないか」などアドバイスくださったことがすごく意義深かったです。あるときD・A・Iさんが知り合いの作家限定で作詞コンペをやる、ということで呼んでくださって、D・A・Iさんの周囲にいるすごい作詞家さんたちに混じって当時25歳くらいの僕の歌詞が奇跡的に決まりました。当時のアイドリング!!!もこれからという時期で、それが作詞家初期の名刺代わりの曲になりました。あとはアニメ『名探偵コナン』のED曲「Hello Mr. my yesterday」を手がけたのですが、その曲が10ヵ月くらい放送されて、当時の放送最長記録の主題歌になったんです。アイドリング!!!を経て『名探偵コナン』の主題歌に歌詞提供したことで、父親もようやく僕の「作詞家」という職業を認めてくれるようになりました(笑)。

――RUCCAさんは小説の執筆もされていますよね?そちらはどのような経緯だったのでしょうか。

RUCCA ポニーキャニオンでアニメ原作に繋がる作品を出版したい、という企画が立ち上がって、書ける可能性のある人に打診をお願いします、というお話がエージェントから回ってきて、企画提案をしてみたところ、OKが出て書かせていただくことになりました。当時はメディアミックスの走りでもありましたし、手探りではありました。お客さんの盛り上がりを織り交ぜていくこともなかなか難しくて、その作品自体は正直売れなかったんですが(笑)。当時、すでにElements Garden(以下、エレガ)と何曲か一緒にお仕事をしていて、「こういうものを出版しました」とその小説をお渡ししていたのが、上松(範康)さんにも伝わっていたそうで。数年を経て「小説を出したりもしていたよね」と上松さんからお話が出たんです。エレガは『うたプリ』も『シンフォギア』も成功していて、制作を継続しているなかで「新しいものをやってほしい」と依頼がどんどんくるから、一緒に新しいコンテンツをゼロから作ってみませんか、と。それが『テクノロイド』の入口となりました。

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