今だからこそ生まれた音楽の数々――。“現在”の心境と見えている景色が詰まった収録曲それぞれの想いを語る、奥井雅美『11-elevens-』リリースインタビュー!

3月13日にニューアルバム『11-elevens-』をリリースしたばかりの奥井雅美。前作『HAPPY END』から実に2年半ぶりのオリジナルフルアルバムである。「今、思っていることや体験したことを納得したうえで楽曲にしている」と話す奥井の、まさしく“現在”の心境と見えている景色が詰まった11曲は、コロナ禍でなければ生まれなかったものばかり。ちょうどJAM Project結成20周年のアニバーサリーイヤーが世界を覆う伝染病によって立ち止まることになってしまった時間に、改めて自身の想いを音楽に込めた奥井が、現在すでにファンにしっかりと聴き込まれているアルバム収録の11曲について、それぞれに込めた想いを語る。

 

――現在、未曾有の自体が世界を覆っています。そんななかで奥井さんが「音楽の力」を感じたことを教えてください。

奥井雅美 家で勝手に歌うぶんには歌うこともできますが、人前で歌うことが急にできなくなってしまって。後付けにはなってしまいますが、アルバムの制作期間がそんな2020年に入り、そんななかで楽曲を書くことで自分が救われたなと思っています。作って、歌って、レコーディングをして、自分自身が音楽の力によって救われましたし、その大きさを改めて感じました。それからリリースをしたあとに皆さんからの感想やSNSに並ぶ気持ちを見ていても、そういったなかで作ったものは共感してもらえるんだなとも思いました。

昔から、恋愛の歌でもそうではない歌でも9割は自分に起きたことでなおかつ納得したことではないと楽曲にできなかったりもするので、実際に感じてきた想いは伝わるんですね。このコロナ禍で感じたことや思ったことを書いたからこそ、皆さんの想いにも寄り添えたんだな、と思いました。ちょうどJAM Projectがデビュー20周年の映画を作っていたのと並行した制作でもあるので、聴いてくださった方が深く共感してくれたのには、そのプロジェクトも作用はしていると思うんです。リアルタイムに感じたことはちゃんと伝わるんだと実感しましたね。

――そうなると2020年の制作でなければ出てこなかったメッセージやメロディもある、ということですよね。

奥井 ほぼほぼそうです。私は曲も歌詞も書き溜めができないので、その時その時の想いをすぐに出すというか。昔から「築地並みの新鮮さ」と言っていたんですね。やっぱりそのときに感じたことしか書けてはいないから、今でなければ書けなかったことがほとんどです。家にずっといるからこそ感じるものとか、外に出て人と会って仕事をしているとすっかり忘れているようなものもありましたし、経済活動や人の動きが止まったときには「どこどこのお水がきれいになってお魚が戻ってきました」とか「空気がきれいになって青空が見えました」といったニュースもありましたよね。そんな報告を目にすることによって私自身が感じたことも楽曲になっています。家にいて、ニュースを見て感じたことも歌になっていますし、そうでなかったなら「空気が綺麗に」と思ったとしても深くまで考えが及ぶこともなかったと思うんです。今こういった状況だからこそ出てきた言葉や想いは確実に込められています。

――経済が止まったときにもエンタメは止まりませんでした。それはどうしてだと思いますか?

奥井 JAM Projectの20周ツアーがなくなってしまったので、自分たちは止まったほうではあると思うんです。私自身はアルバムの制作が始まったので止まらなかったのですが……。色々な人を見ていると、フットワークの軽い人は自分が動かないと、と行動していましたし、若い人たちはそれこそ様々なツールを駆使して動き出すのは早かったですよね。そしてもちろん、そこで生まれるものを求める人も多かった。『鬼滅の刃』のような象徴される力のあるエンタメを多くの人が求めたというのもあったと思います。様々なものが止まってしまったぶん、動いているものへと気持ちが寄せられていった。きっと年齢や性別に関係なく、好きなものや応援したい想いは必要なんだなと感じました。

――そんななかで制作された今回のアルバム『11-elevens-』ですが、『HAPPY END』以来のフルアルバムになります。どんなきっかけでこのタイミングでの制作になったのでしょうか。

奥井 JAM Projectはタイアップもありながらコンスタントにアルバムやシングルを出させてもらっているんですが、ソロはきっかけがないと出せないんです。『HAPPY END』もそうでしたが、サウンドプロデューサーの土井潤一さんが私のアルバムを作りたいって言ってくださったんです。最近ではサブスクもあるし、配信がメインになっていくであろう時期に、それでもアルバムを出そうと話をしてくださったのはありがたかったですね。ただ2019年くらいにお話をもらったんですが、JAM Projectの20周年もありますし、タイミングがはっきり決まらなかったのと、自分自身のエンジンが掛からなかったんです。言いたいことがなかったのかもしれないですね、そのときには。ただコロナ禍に入ったことで言いたいことがどんどん湧いてきて、曲や歌詞が出てきたんです。「作りましょう」と言ってもらい、自分から楽曲が湧き上がってきたのがこのタイミングだったということですね。

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