INTERVIEW
2017.04.21
──茂木さんの本質という意味では、ものすごく茂木さんのエッセンスが濃厚に入っているのが、「t7s Longing for summer Again And Again ~ハルカゼ~」の初回限定メモリアルボックスに封入されている書きおろし小説「Some say love, it is flower-ユキカゼ-」だと思いました。この小説はどの程度茂木さんの経験や想いを反映してるんでしょうか。
茂木 僕は最初、自分をカホルの側に重ねていたんですよね。学生時代にそういう世の中とのぶつかりあいを経験したこともあるし、おかしいだろうと思ってきました。でも考えてみるとアカネに重なる部分もすごく大きいんですよ。ただ、完全にキャラクターと自分を重ねてしまって、自分自分という内容になってしまうのもあまり良くない。どう言ったらいいのかな……自分が手がけたものであっても、あとから見てどこか客観的に見られるものの方が、自分で好きになるんです。作品と自分が完全に同一にはならない、一定の距離を取るということは常に気をつけています。そのうえで、14歳の僕がどうだったかと思い返すと、アカネに近かったような気がします。アカネが仮に誰にも何にも救われないまま成長したら、小説に登場するアカネのお父さんのような存在になるんじゃないでしょうか(笑)。そうやってある意味で強く、したたかにこの社会や集団のルールに適応しようとして生きているアカネなわけですが、14歳の子があれこれ言っているぶんにはいいじゃない、と思うんです。でもきっとアカネはこれから変わっていくし、そこを描きたかった部分もある。だから今の僕がアカネと同じ心情かと言われると、もちろんまったく違うのですが、頭でっかちなアカネは14歳の頃の僕と同じようなものなのは事実かと思います。
──小説を読んでからアニメの映像を見ると、まったく印象が変わりますね。
茂木 そういう構成にしたい、セットとして楽しめるものにしたいとは思っています。エンタメですからね。もちろん、映像単体でも成立するように作っているつもりだし、伝わるものは同じだと思います。でも両方体験したほうが泣けるって言ってもらえるとうれしいですね。
──アカネたちは、アイドルの姿や言葉に直接救われるのではダメなんですね。
茂木 うーん、それはどこまでいっても「嘘」なんじゃないかって思うんですよね。僕個人が、あまり人間に救われていなくて、あくまでも「作品」に救われた人間だからかもしれません。人が他人の心に触れられるって思ってないんです。これはもう幼少期からですね。でも作品は触れることができるかもしれない。だって作品は一度送られたら受け取った側の人、その人のものになるんだから。作った人間も、作られた過程も、意図さえ関係ない。その人だけのものになる。だから僕の仕事は人が創ったもの、つまり作品への恩返し。たかが250円で購入できるような音楽が彼女たちのなかに入ってきて関係性が生まれたとき、救われるような、かけがえのない何かが生まれることもある。作品がその手助けになればいいと思っています。先程のメタ的な話に戻るなら「ナナシス」がそういう存在になればいいと思っている。だから、この作品は「ナナシス」そのものだ、ということなんです。ちょっと大袈裟ですけどね(笑)。
──物語の中で救われるのがアカネ、なのがいいですよね。表面的な“被害者”はカホルで、もちろんカホルにも第七新東京区(TOKYO-07) に行ってから救われる何か、があったのだと思いますが。
茂木 ありがとうございます。そうなんですよ。カホルはアカネより一步先を行っていて、だからこそあの手紙を届けられるんです。彼女は強い人になるんだと思います。卒業式の朝のアカネの言葉との対比とかもね、あるんですけど。
──茂木さんはクリエイティブに関わっているときの気分が作品にも反映されるほうだと思うんですが、この作品を作るときってどんな気分だったんですか?個人的には「SEVENTH HAVEN」を作るときに金髪になっていた茂木さんが、「ハルカゼ~You were here~」を作り終えて、アニメの脚本や絵コンテの作業がひと通り手を離れたあとは黒髪になって、なんだか表情までおだやかになった印象があります。
茂木 金髪にしたのが一昨年の年末だったかな。これはCD同梱の記録集でのインタビューでたくさん話していることなんですが、その時期に「ナナシス」のアニメを作りたいと言ってくれる方々と調整を重ねていたんです。でもその話はなかなかうまくいかなかった。僕自身が用意した脚本の第0稿も、今思えば非常に暗いトーンだったと思います。ちなみにそのときは実はカホル視点だったんですよね。結果としてその後アニメの話が一旦流れて、一度解放されたような気持ちもあったし、アニメできなかったな、何か間違えたのかな、のような思いももちろんあったし。そんなことを考えながら(2016年夏の)“Tokyo 7th シスターズ 2nd Live 16’→30’→34′ -INTO THE 2ND GEAR-”の準備を進めていました。
──その後、今の形のアニメの企画はどのように?
茂木 その頃、チップチューンの奈良井(昌幸)さんに会ったんです。そしたら「それでも茂木さんは映像の監督に向いてると思います」と言われて、話半分で聞いていたら本当に「予算と時間があればMVやりましょう」と言ってくださったんです。うれしかったですね。一度流れてしまった企画がなぜだめになったんだろうと考えたとき、そこには僕が用意した第0稿に作品としての力が足りなかった部分も当然あったと思います。改めて見返すと、そこに込められているのは鬱な自分だった。今まで僕が「ナナシス」として世に出してきたものとはかけ離れたものだったんです。それで、その時点では僕がギターを弾いて仮歌を入れていた「ハルカゼ~You were here~」を聴き直したんです。それで(楽曲からエゴが抜けてフラットな表現になっているのを感じて)、「ああ、自分のダークな部分を乗せても誰かの背中を押すことはできないだろうな」と感じました。誰かの背中を押す作品を作ろうと思って作り直したのが「t7s Longing for summer Again And Again ~ハルカゼ~」の第一稿でした。それが出来上がったのが、2016年の7月頃だったかな。脚本の第一稿を「ナナシス」を好きでいてくれるスタッフや関係者に見せたら、わりと好評だったんです。それで、8月末には絵コンテをすべて出したのかな。2ndライブが終わって、脚本と絵コンテを提出して。それで、ようやく未来に目が向いたんだと思います。次のライブ、次の楽曲、そして5年後の自分と「ナナシス」、10年後の自分と「ナナシス」に目が向いたんです。一度未来に目が向くと、現実の諸々や鬱屈にとらわれることがなくなったというか。その頃だったかな。シナリオを一緒にやってくれている田沢(大典)さんに「高校生の茂木さんは人の作品に救われていたと思うけど、今こういう仕事をしている茂木さんは自分の作品にしか救われないよ。だから辛くても自分でやるしかないよ」と言われたんです。見抜かれてるなぁって(笑)。だからアカネとカホルや、この「t7s Longing for summer Again And Again ~ハルカゼ~」という作品が、僕を救ってくれたんだと思います。楽曲と作品を作っていく過程で自分が浄化されていったんだと思います。
──暗い部分や鬱屈がこもった第0稿を(企画として)否定されるという経験も必要なことだったのかもしれませんね。
茂木 そうなのかもしれないですね。もっとも、第0稿がそういう内容になったこと自体、アニメ企画のやりとりのなかでのしがらみやうまくいかないことに対する感情、気分を反映したものなので、卵が先か、鶏が先か、という話にはなってきてしまうんですが(笑)。
──茂木さんの気持ちが浄化されていった、という話を聞くと、「t7s Longing for summer Again And Again ~ハルカゼ~」のPVに登場する真っ白な衣装を来た無垢で純粋な777☆SISTERSの姿や、ストレートで美しい卒業ソングのような「ハルカゼ~You were here~ 」の楽曲の印象にも重なります。楽曲やビジュアルのイメージはどのように生まれたんですか?
茂木 曲を作り始めたのは、金髪になった当時なんですよね。その当時5曲ぐらい書いたんですけど、どの曲も心から好きになれなくて。どこまで言っても心情の吐露であって、今の僕そのものの楽曲だったんですね。だから視点を変えよう、やり方を変えようと思ったんです。社会や学校、組織の中にいた自分の思い出の中で、自分が本当に言いたかったことはなんだろう、あるいは言ってほしかったことはなんだろう、そういうことを歌にしようと思ったんです。それで曲を作って歌詞を書いていたら、「今の」自分のエゴがなくなっていったんです。単純に、誰かを応援したい、お互いキツいよね、という心情がそのまま乗っかってくれた。その結果、「ハルカゼ」の歌詞を見ても自分が見えることがなくなったんですね。誤解が生まれそうなんで言っておきますが、個人的にあの歌詞に嘘はひとつもありません。それは断言できる。個人的な真実を口にしているんですが、それは願いでもある。自分以外の他人を思う願いです。だからエゴではない。だから、歌っている777☆SISTERSにも強いエゴはないというか、たとえ歌っているのが彼女たちでなくても成立する楽曲にしたいと思った。だから、合唱曲なんです。
──映像に登場する777☆SISTERSも777☆SISTERS自身というよりは、アカネやカホルや、2040年の誰かの中にイメージとして残る777☆SISTERSの姿?
茂木 そうですそうです、その通りです。彼女たちの中に残っている姿なので、あくまで他者の距離感なんです。もちろん、「ハルカゼ」という楽曲にキャストのみんながどう向き合ったかの感情は、楽曲の中に残っているし、乗っていていいと思うんですけどね。この歌、できれば一度歌ってみてほしいんですよ。聴いているだけと歌ってみると感覚が違うので。今回スース役の大西さんが収録中に泣いてしまったんですけど、そういうことって初めてだったんですよね。本人は「なんか入っちゃって」と話してたんですけど、役者として声優としてとはまた違うどこかにすっと入ったんじゃないかな、歌う人に何かの気持ちを呼び起こす曲になったんじゃないかな、と思っています。あの反応は純粋にうれしかったです。
──歌うことで特別な感情が起こる、無色な曲に歌い手の想いが乗って色がつく。作品の中で「合唱曲として6年後にも残って歌い継がれる」曲がそうなったのはとても運命的な気がします。
茂木 ちょっと出来過ぎですよね。でもそれは本当に偶然で、無垢で無色なものを作ろうと意識したわけではなかったんですよね。自分のエゴを消す作業をした結果、自然に曲の意味合いやあり方が統一されていった感じです。狙ってやれないことができたのは奇跡的だったなと思います。
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