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INTERVIEW

2023.09.01

歌うことに人生を掛けたい――!シンガーソングライター・someiがTVアニメTVアニメ『デキる猫は今日も憂鬱』OPテーマでデビュー!

歌うことに人生を掛けたい――!シンガーソングライター・someiがTVアニメTVアニメ『デキる猫は今日も憂鬱』OPテーマでデビュー!

somei(ソメイ)というアーティスト名には“様々な姿を持ち、移りゆく季節に寄り添うソメイヨシノのように、たくさんの表情を持ち多くの人の瞬間に寄り添えるアーティストになれるように。”という願いが込められているという。1stシングルのタイトル曲「憂う門には福来たる」は、TVアニメ『デキる猫は今日も憂鬱』のOPテーマで、自身が作詞・作曲を担当。唯一無二の豊かな才能が咲き誇る。

INTERVIEW & TEXT BY 逆井マリ

someiと名乗るまでの道のりは紆余曲折

――まずはsomeiさんがシンガーソングライターになるまでの経緯をお伺いさせてください。

somei 家族が音楽一家で、小さい頃から身近に音楽を感じてきました。父はエンジニアなのですが出張に行く度に珍しい楽器を買ってきて。それを使って自分で作曲した曲を屋根裏部屋で多重録音して、CDも出していました。母は三味線奏者だったんですけど、琴で弾き語りをしたいと思っていたらしく、新しいことに挑戦していました。

――ある種someiさんが歌手になったのは必然でもあるというか。

somei 自分でもなるべきしてこうなった気はしています(笑)。だから自然と音楽をやりたいとは思っていたんですが……音楽番組がやっている時間にはあまりテレビを観させてもらえなかったこともあって、歌手という概念を知らなかったんです。初めて歌手という職業を知ったのは小学校1年生のときでした。母が出演するライブに行ったところ、他の方のステージで歌をうたっている女性の方が「歌手です」と紹介をされていて。そこで「歌手という職業があるんだ」ということを知りました。

――音楽のジャンルも幅広く聴かれていたんですか?少し前にSNSでニール・ヤングのことをつぶやいていましたね。

somei 70年代の海外のロックも好きです。それに関しては父の影響が大きいんです。ご飯のときにはニール・ヤングやイーグルスなどが流れていました。だから一言でバックグラウンドを説明するのは難しいのですが……。

――今回の曲を聴いたときにMONGOL800などのパンクバンドも好きなのかなと思っていました。

somei モンパチ(MONGOL800)も大好きです!自分の世代の邦ロックもアイドルの曲も、海外のロックも、アニメの音楽も片っ端から聴いています。

――アニメにハマったきっかけはなんだったんです?

somei テレビを観られる時間が限られていたので、土曜日の夕方のアニメや日曜日の午前中に放送されている少年アニメをよく観ていましたね。少女系のアニメも好きで『しゅごキャラ!』を観て『ケロロ軍曹』『家庭教師ヒットマンREBORN!』を続けて観るのが日々の楽しみでした。

――そこでアニソンにも出会ったんですね。

somei そうですね。特に『REBORN!』の音楽が大好きで、おこづかいで大全集を買いました。CHERRYBLOSSOMの「桜ロック」は未だによく聴いています。

――そこからはどのように活動をされたんですか?

somei 歌うことに人生を掛けたいと漠然と思っていて。バレエをやっていたこともあって、当初は歌って踊りたいという気持ちもありました。それで小学校3年生のときにあるミュージカルのオーディションを受けたんですが、結局二次審査で落ちてしまって、母と一緒に泣きながら帰るという苦い経験もしました(苦笑)。小学校高学年のときに歌手のオーディションもあるということを知って、色々と受けるようになって。オーディションを受けるなら音源がないといけないなと思って……オケを作ることはできないし、カバーするにも音源を買わなきゃいけなかったので、「じゃあ自分で演奏するしかない!」と11歳のときのクリスマスに、サンタさんからギターをプレゼントしてもらいました(笑)。

――どんなギターをプレゼントしてもらったんですか?

somei 今作のジャケットにも写っているギターと同じメーカーのMartin(マーティン)の、少し小さめの白いギターです。私は体が小さいので弾きやすいギターをプレゼントしてもらって。父や母の音楽仲間にギターを教えてもらい、少しずつ弾き語りができるようになりました。アニソンももちろん弾いていて、小学校5年生あたりのときに『けいおん!』や『Angel Beats!』が流行っていたので、入っていきやすかったんです。

――ではバンドも組まれていた?

somei 中学に入ってからゴリゴリのアニソンバンドを組みました。周りに音楽をやっている子がいなかったので、母の音楽仲間に囲まれながら、私はギターボーカルを担当していました。初ステージは中学2年生のときで、そのバンドで高円寺のライブハウスに立ちました。当時のバックステージパスはいまだに取っています。

――当時からオリジナル曲はあったんですか?

somei 見様見真似で曲も作り始めていました。当時はとにかくがむしゃらでしたね。中学時代はライブとオーディションの繰り返しでした。学校を卒業した翌年には年間50本ライブをやって。その中で、事務所に誕生日の前日に呼び出され、突然「合格です」と言われて……正直理解が追いつかなかったです。嬉しさや不安が入り混じって「しっかりしなきゃ!」って。そこからはひたすら自分の出せるものを絞り出して、曲を書いてと、オーディション合格後はsomeiとして、少しずつ活動していたような状態でした。コロナ禍でお客さんも減っている状況ではあったんですけど、配信ライブという形もできてきましたし、「今だからこそ歌わなきゃいけない」と覚悟を決めていました。

――親御さんはsomeiさんの音楽活動をどのように見守っているのでしょう。

somei すごく愛情深い両親なんです。音楽に対してものすごく理解もあるので、「舞台に立つということは命がけでやることだから」と小さい頃から言われてきました。先行きが不安な世界ではあるので当初は心配していたんですが、「自分のやりたいことを見つけて、それをできるのは一番だ」と応援してくれています。『デキ猫』を観ているときは、私よりも興奮しているかもしれないです(笑)。

――someiというアーティスト名はソメイヨシノにかけて“多くの人の瞬間に寄り添えるアーティストになれるように”などの意味が込められているそうですね。

somei 実はアーティストとして聡明で在れるように、という思いも込めています。花が咲いて、緑になって、紅葉して……色々なアーティスト性を変わりゆく花のように見せていきたいです。

――海外でも桜は人気がありますよね。

somei そうなんですよね!アメリカのワシントンD.C.に日米の平和と親善の象徴として送られているじゃないですか。自分自身もいつか音楽で架け橋になれたらなって。小さい頃は「私はグラミー賞を取る!世界に羽ばたくんだ!」という野望を抱いていたので「だったら英語は喋れないと!」と英語を習っていた時期も……ただ、最近は喋らなくなっちゃっのでほとんど話せないんですけど(笑)。

音楽を視覚的にも楽しめるように

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