INTERVIEW
2021.06.23
北海道を拠点に活動し、ゲーム音楽とアニメ音楽において2000年代からシーンを席巻してきた音楽集団、I’ve。かつてKOTOKOや川田まみが所属していたI’veに、伝説的バンドが存在していた。その名はOuter。I’veの中心人物・高瀬一矢とKOTOKOらをメンバーから成るこのバンドは、I’veが切り開いたダンスミュージックと高瀬のルーツにあるパンクサウンドが融合したものでI’veの中でもカルト的な人気を誇っていた。
そんなOuterが遊結(解散)した2012年以来の再結成を果たし、アルバム『Rebellious Easter』をリリースする。I’veの20年史とシンクロするOuterの歴史、そして待望のニューアルバムについてKOTOKOと高瀬の二人に話を聞いた。
――というわけで、2012年の遊結以来となるOuterの再結成、さらには音源としてもそれ以来となるメジャーデビューアルバム『Rebellious Easter』がいよいよリリースとなります。
KOTOKO そうなんですよ。
高瀬一矢 メジャーデビューアルバムなんだよね(笑)。
――そんな新作のお話をする前に、まずは改めてOuterの歴史を伺いたいなと。まず、KOTOKOさんのデビューが2000年ですが、その頃に結成されたのですか?
高瀬 厳密には1999年かな?
KOTOKO そうだねえ。
高瀬 「発情カルテ」っていうゲームの……。
KOTOKO あまり書けないけど(笑)。そのゲームの主題歌で。実はKOTOKO名義より先に出ているんですよ。ゲーム自体は2000年の8月に出ていて、KOTOKO名義の曲が使われたゲームは2000年の12月に出ているので、Outerのほうが先に発表されてしまって。そのときKOTOKOの名前はまだクレジットされてなかったんですけど、歌声として世に出たのはOuterのほうが先なんですよね。
――KOTOKOさんとしては、I’veではほぼ同時期にソロもOuterも始動していたわけですね。そもそもOuter結成のきっかけはなんだったのですか?
高瀬 別に結成というほどではないんですけど、俺が昔パンクバンドをやっていたじゃないですか。そこからパンクバンドと打ち込みの融合、ミクスチャーという、俺の趣味で始めたバンドなんですよ。で、当時KOTOKOちゃんと出会ったのも運命的なもので、雷が地面に導かれて落ちるような感じで、KOTOKOちゃんにはオーディションの段階で色々やらせていたんですよね、「こんな歌い方できるかい?」とか。そしたらこの子なんでもやってくれるなって(笑)。
KOTOKO ふふふふ(笑)。
高瀬 それでOuterでやってみようと思ったのがきっかけですね。
KOTOKO 最初の曲、「Synthetic Organism」のときは音資料一切なしで、「とりあえず来て」って言われて。スタジオに行ってその場でいきなり覚えていきなり歌ったんですよ、練習もせずに。
高瀬 そうだっけ? スタジオがまだ別の場所の時?
KOTOKO そうそう。なんの資料もなしにスタジオに行って、それでいきなり曲覚えてって、それで覚えたら「こんな感じで歌って」って言われて、がなりもわからないから「どうやったらいいですか?」って言いながら最初にやったのが、あのOuterのがなりなんですね。そんな感じでがなってみてって言われて。
高瀬 無茶言うね、俺(笑)。
KOTOKO はい、すごい無茶でした!(笑)。「そんなのやったことないし!」って。
高瀬 その頃って今みたいにメジャーのカチカチっとした仕事ではなかったので、だからこそあんなことができたんだなって思いますね。
――あとから知る人間としてはKOTOKOさんのボーカルのイメージがあったので、それがOuterではあんなにがなるのかと衝撃を受けたというか。それこそ過去のI’veのライブにもOuterとして出演していましたが、あのインパクトがすごかったというか。
高瀬 ありましたね、はい(笑)。
――バンドが音を鳴らして高瀬さんが何か叫んだあとに、KOTOKOさんが登場して……。
KOTOKO 「キュンキュンしてんじゃねえよ!」って(笑)。
高瀬 「おまいら!」って。
KOTOKO そう、”お前ら”じゃなくてね。当時は2ちゃんねるで”おまいら”って言ってたんですよね。それを真似してやって。ふざけたバンドだったのでなんでもありだったんですよ。
高瀬 パンクバンドでもあるじゃないですか、「お前ら座ってんじゃねえ!」っていう。あれをもう少し柔らかく皆さんにお届けしたいというのがあったんですけどね(笑)。
KOTOKO そのあとにコミケ用に作った「L.A.M -laze and meditation-」もやばかったですよね。コミケ用に作った曲で、MVも撮ったんですけど。そのときは脳味噌とかを投げつけようとかいって、白子を買ってきてそこに血糊をつけて、廃墟の壁にぶつけたりとか(笑)。
高瀬 やったやった(笑)。
KOTOKO メイクもマリリン・マンソンみたいにしたかったんだけど、メイクさんが間違えて眉毛をつなげちゃって、こち亀の両さんみたいになっちゃって(笑)。
高瀬 本官ね(笑)。
KOTOKO ”本官メイク”って言われて、その映像はお蔵入りになっちゃったんですけど。
高瀬 今でも探せば観られるのかな?
KOTOKO あと、スモークを薫くお金もなかったから、廃墟の床に積もった埃をみんなでバタバタ扇いで、スモークの代わりにしてね、結構手作りでね。
高瀬 スモークも今みたいにAmazonやサウンドハウスで買える時代じゃなかったからね。それが2000年前後ですね。
KOTOKO なので全部が手作りでしたよね。
高瀬 MVは廃墟で撮ったんだよね、病院の。
KOTOKO そうですね。
高瀬 そこで、車で来てくれてその場で作ってくれるラーメンの出前とったんですよ。うまかったなあ(笑)。
KOTOKO 「10人前なんで!」って言ったら札幌から1時間ぐらいかけて持ってきてくれて。真冬の廃墟だったから、雨漏りの水で階段で凍りついちゃって、それはそれでかっこよかったんですけどね。
高瀬 廃病院なんだけど、別に心霊現象があるわけではなくて。なんなら近所のおじさんがきて、最初は「お前ら冷やかしに来たのか!」って怒られて。「いや違うんです、こうこうこういうビデオを撮っていて……」って説明したら、「そうか!」って機嫌良くなっちゃって、食いきれないぐらいの鹿肉くれて持って帰った覚えがありますよね。
KOTOKO それを事務所のガレージで焼いて食べたんですよね。
高瀬 おいしかったよね(笑)。
――まさにやることなすことパンクバンドらしいDIYなスタイルだったと。
KOTOKO そうですそうです。本当にパンクバンドだったんですよ。
高瀬 当時I’veは一から全部作るということをやっていたんですよね。色んなことを最初から経験しようということで、そういうことがOuterではできてたんですよね。
――そんなOuterがおよそ8年ぶりに再結成を果たしたわけですが、このきっかけは高瀬さんのアイデアだったんですか?
高瀬 いや、あのね、僕はOuterをやるとは思っていなくて。去年の10月ぐらいに西村(潤/NBCユニバーサル プロデューサー)さんに電話して、「I’veの20周年に何かやりたいんですよ」って話していたんですよ、そこで「Outerどうだい?」って話になって。
KOTOKO なんとなんと、西村さんからのアイデアなんですよ。
高瀬 それからしばらく寝かせて、今年の2月か3月ぐらいに決定して、じゃあやりましょうと。それで発売とライブも決定したんですよね。
KOTOKO そうなんですよ。もうちょっと早く始めてもらえたらとてもうれしかったんですけど……私のツアーとどん被りで(笑)。
高瀬 Outerをまたやるということに対して俺が煮え切らなくて。ギターからも離れていたし、もうやらないと思っていたし、ほかにもやることあったから、ここまで寝かせちゃったというのはありますね。
――そうしたOuter再結成の話を聞いたKOTOKOさんの反応は?
KOTOKO 私は正直いうと、遊結したくなかったし、もう1回やるならやりたい、ぜひいつか復活させたいなって思っていたコンテンツだったので、お話がきたときは「よっしゃー! やりましょうやりましょう!」って。たぶん私が一番ノリノリだったと思います。西村さんにもかねてから「Outerどうしたい?」って言われていたときも、私は「やりたい」って言っていたので、私は今回すごく嬉しいですね。
――またKOTOKOさんのメジャー15周年を前後して高瀬さんや中沢伴行さんと作ったアルバム『tears cyclone』シリーズや、ゲーソンBOX『The Bible』とその流れが出来たあとの再結成というのも美しいですよね。
高瀬 あとはOuter、っていうね。
KOTOKO 私にとってはKOTOKO以外のもう1つの顔として、KOTOKOでやりきれていなかった部分を思い切りやれるという場所だったから、本当に大事だったんですよ。私にとっては大切な場所が復活したということで、すごくイキイキしていましたね。これまでの数年間の鬱憤がこの1枚に出せたし、歌詞もやばいことになっていたので、なんなら何回かNGが出るくらいで(笑)。
――それぐらい作詞に関しても攻めているという。
KOTOKO 過去イチ攻めています。これまでのOuterよりも攻めています。
高瀬 そこはジャケットにも現れているもんね。
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