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INTERVIEW

2019.08.30

“何もなかった”私が歌う意味――ReoNa、ニューシングル「Null」ロングインタビュー

聴き手の気持ちに寄り添う歌を届ける絶望系アニソンシンガー・ReoNaが、ニューシングル「Null」をリリースした。神崎エルザ starring ReoNa名義の作品『Prologue』に続く、自身のアーティスト活動の原点を表現する“ReoNa ZERO”プロジェクトの第2弾にあたる本作には、彼女がデビュー前から歌い続けてきた最初のオリジナル曲「怪物の詩」や、ライブでは定番となっているAqua Timez「決意の朝に」のカバーを含む3曲を収録。今回は『Null』の話題を中心に、彼女が歌う『ソードアート・オンライン』シリーズの原作小説刊行10周年テーマソング「Till the End」、9月より始まる全国ツアーへの意気込みなどを聞いた。なお、現在発売中の雑誌「リスアニ!Vol.38」に、『Null』についての本稿とはまた別の切り口によるインタビューを掲載しているので、ぜひ併せて読んでほしい。

“何もない”という言葉に、今回収録したお歌や自分の過去を重ねられた

――今回のニューシングルですが、タイトルの『Null』というのはプログラミング言語において“何もない状態”を示す単語らしいですね。

ReoNa そうなんです。きっとエンジニアさんとか普段そういう言語に触れている方ならパッとわかると思うんですけど、この言葉自体には“ゼロ”とか“何もない”“存在しない”という意味があるらしくて。で、私にとってその“Null”という言葉とイコールになるのが、今回のシングルに収録している「怪物の詩」なんです。私が17歳だった当時、オリジナル曲も何も持っていなかったときに、同じLIVE LAB.のクリエイター・毛蟹さんから初めてもらったのがこのお歌だったので。今回はシングルなので「怪物の詩」をタイトルにすることもできたと思うんですけど、それとは違う“Null”という言葉をタイトルにしたのは、そういう“何もない”という言葉に、今回収録したお歌や自分の過去を重ねられたからなんです。

――シングルの1曲目に収録されている「怪物の詩」は、ReoNaさんがデビュー前からライブで歌ってきた、ファンにとっては馴染み深いナンバーですが、それが今回ようやくCD化されることになりました。

ReoNa 本当にすごく思い出がたくさんあるお歌で、初めて披露したライブのことも鮮明に覚えています。場所は柏PALOOZAというライブハウスで、今もライブでギターを弾いてくださっている堀崎(翔)さんとふたりで、すごく静かなアレンジのアコースティックバージョンで歌いました。お客さんも20人ぐらいで。そこからLIVE LAB.のTakumiさんに映像を作っていただいたりして、初めてフルバンドで披露したのは恵比寿CreAtoでのライブでした。

――毛蟹さんからは、どのような経緯でこの曲をいただいたのでしょうか?

ReoNa その当時、毛蟹さんとは何度かお会いしたことはあったんですけど、私が自分の生い立ちとかを直接お話して作ってもらったというよりは、毛蟹さんから何曲か楽曲を提案していただいて、その中から、ReoNaに合いそうな曲ということで提供してくださったんです。そこから自分のお歌というものにすごく向き合ったのがこの曲で、スタジオにこもって頭から最後まで繰り返し歌ったり、特定のフレーズだけを何回も歌ったり、本当に「怪物の詩」だけを歌う時間というのがすごくたくさんあって。それまでの私はずっとカバー曲を歌っていたので、どうやって原曲に近づけるかを考えたり、歌っている人のニュアンスをコピーするような形で歌っていたので、初めてお手本のないお歌を渡されたときに、自分がどう歌っていいのかわからなくなってしまったんです。なので「ReoNaのお歌って何なんだろう?」と、一緒に作ったのがこの「怪物の詩」でした。

――そのなかで、具体的に自分の歌はこうだと言えるものを見つけられましたか?

ReoNa 具体的にこれと言えるものは今でも探している最中で……。でも、自分がどういうお歌を歌いたいかを考えたときに、持てる限りの力で歌詞の言葉を届けるお歌を歌いたいと思う基盤になったんじゃないかと思います。

――歌詞も自分自身にとって共感できる部分が多かったのでは?

ReoNa 言葉の一つひとつが難しいものではないので、すごくシンプルに気持ちを言葉にした歌詞という印象があって。だからこそ真っ直ぐ歌うと駄々をこねてるみたいに聞こえて、ある種の子供っぽさを秘めた部分と、歌っているとどこか絶望感を感じさせるようなところが、当時の私にはすごく重ねやすかったんです。その頃の私は17歳という大人にも子供にもなれない年齢で、家にもあまり居場所がなかったり、友人ともうまくいかない時期が続いていて、“ひとり”を痛感することが多い時期だったんです。

――それは気持ち的にかなりしんどい時期だったでしょうね。

ReoNa 今より全然、感情の起伏がなかったと思います。私は人に対して“怒る”という感情が持てるようになったのが結構最近のことで、その当時は本当に腹が立たなかったんです。もし、誰かが何か嫌なことをしてきても、自分がそれを我慢することで、その人と自分の関係が保たれるのであれば、何とか関係を維持しようみたいな方向に考えてしまって……。たぶん何かが欠けていたんでしょうね。今よりも感情表現することが少なかったと思います。

――そんなReoNaさんが、サビで“愛をもっと 愛を”というフレーズが出てくる「怪物の詩」を繰り返し歌うことで、愛への飢餓感だったり感情を素直に出せるようになったのかもしれません。

ReoNa 言葉で話すことはできなかったけど、お歌の中では愛を求めている自分を投影することができたのが大きかったんだと思います。最近ハッと思ったんですけど、気づいたら、人に対して腹を立てたり、期待するようになっていて。昔は何か自分のことを誰かに委ねるみたいなこともなかったですし、そういう時期がすごく長かったので、改めて自分が変わったんだなと感じますね。

全方面に悪い人だとか全方面に良い人なんて、誰ひとりいない

――「怪物の詩」は今回のタイミングでMVがあらたに制作されて、シングルの初回生産限定盤(CD+DVD)にフルバージョンが収められます。

ReoNa 今回のMVは南方研究所さんに作っていただきました。絵が付くことでイメージが固定することがあると思うんですけど、今回の「怪物の詩」は、その先に例えば「この怪物はどんな存在なんだろう?」とか、受け手側に考える余地がふんだんに残されたものにしてくださって。間奏のところで真っ黒なバスタブとか、駅のホームに縄が吊られているシーンが出てくるんですけど、そういう不思議なシーンも人によってはピタッと当てはまるイメージがあるんじゃないかと思うぐらい、自分なりの解釈や考える幅が残っている映像だと思います。私は南方研究所さんの作品を小学生の頃から観ていたので……。

――そういえば、子供の頃からボカロソングもお好きだったんですよね。

ReoNa はい。南方研究所さんはハチさんの楽曲の映像をたくさん作ってらっしゃっていて、そのなかでも「ワンダーランドと羊の歌」は私も大好きな曲で。ほかにも「clock lock works」とか、米津玄師さんとして発表された「恋と病熱」もそうですし。私自身も楽曲を受け取りながら自分なりの解釈を想像していた身だったので、自分がそういうふうに受け取っていたものを生み出した方々と一緒に何かを作れるというのは、私の今までに寄り添っていただいてるような感じもして、私自身も完成が楽しみなMVでした。

――そういう意味ではReoNaさんのルーツを表現する「Null」という作品のテーマにも繋がりますね。

ReoNa そうなんです。私は本当に何もない時期に、ボカロ曲やアニソンをむさぼるように聴いていたので、そのときの行動がこうして今に繋がって、今回の「Null」で初めて南方研究所さんとご一緒できたことも、すごく意味があると思います。

――MVのアニメーションの絵柄はファニーですが、ショッキングな場面もたくさんあって、そのギャップ感がポップで鮮烈でした。

ReoNa かわいいからこそ怖い、ということもあったりしますよね。例えば、笑顔で怒られたら怖いだろうなと思いますし、違和感というのは恐怖心を煽るものじゃないですか。そういう部分でも不気味に思ってもらえたらいいなと思います。

――個人的には、女の子をいじめていたクラスメイトたちが、終盤にみんなで仲良さそうに横断歩道を渡っているシーンを観て、見た目は普通だけど、これこそが「怪物」なのかなと思ったりもしました。

ReoNa そうなんですよね。全方面に悪い人だとか全方面に良い人なんて、誰ひとりいないじゃないですか。私、前にそれを思ったときに「こえにっき」にしたことがあって、それをふと思い出したりもしました。もし自分が心の底から憎んでいる人がいたとしても、きっとその相手のことを愛する人がいて、その人を産んだ人がいて、その人を育てた人がいて……。なので自分にとっては怪物だったとしても、誰かにとってはすごく愛しい人かもしれなくて、あのシーンでふとそういうことを感じる人もいるかもしれないですよね。もしかしたら自分があのクラスメイトの中のひとりだったかもしれないし。

私の記憶の中にも深く深く杭を打った楽曲

――そういう二面性の怖さも感じさせるMVですね。で、シングルの2曲目に収録されている「Lotus」は、資料によると「ソロデビュー前から大事に温めていたスローナンバー」とのことですが、冒頭の“この手首 切り刻んで”で始まる歌詞があまりにも衝撃的で……。

ReoNa 元々のデモが作られたのはデビュー前のことで、同じLIVE LAB.のハヤシケイさんが作詞作曲したものに対して私が仮歌を入れたんですが、当時は私もこの歌い出しにすごく衝撃を受けました。私の記憶の中にも深く深く杭を打った楽曲です。たぶん、あのキラキラしたイントロからこの歌詞が出てくるとは思わないと思うんです。だから、例えば街中で流れたときにハッとして、歌詞を追いかけてもらえたらいいなと思っていて。

――というのは?

ReoNa なんだろう……「Lotus」は小説みたいなお歌なんです。二章から読み始めても、クライマックスから読んでもわからないし、最初の1ページ目から最後まで続けて読まないと、この物語の本当の意味は見えてこないと思っていて。そういう意味では小説とかマンガとかアニメみたいなお歌だと思います。

――たしかに自傷行為をモチーフとして扱いつつ、泥で濁った水の中から大きな花を咲かせる蓮華(=Lotus)に救いの気持ちを重ねた歌詞は、心情が丁寧に描写されていて物語のようです。

ReoNa この曲をケイさんに作詞してもらうにあたって、すごく長いメモみたいなお手紙をケイさんにお渡ししたんです。私はケイさんの言葉に対する共感がすごく大きくて、9歳か10歳ぐらいの頃に、ケイさんがKEI名義でボカロPとして書いた「ピエロ」や「Hello, Worker」「タワー」という曲をずっと聴いて過ごしていた時期があったんです。なので、ケイさんの世界観に対して共感する部分や鬱々としたグチみたいなことを書いたりして(笑)。ケイさんはそれを読みながら歌詞を書いてくださったんですけど、「このメモを読みながら歌詞を書いてると気が滅入ります」という言葉をいただきました(笑)。

――そういうReoNaさんが抱えている鬱々とした部分を、歌としてしっかりと形にしていただいたわけですね。それこそ2番の歌詞にある“大好きだった絵本の 最後のページは破り捨ててしまった”という部分も、ReoNaさんが以前の取材でお話されていた「自分から幸せを遠ざける」というエピソードを思い出したりしました。

ReoNa その比喩にももちろん当てはまると思いますし、私は物語の最終回を見るのがすごく嫌いなんです。完結に向かっていく物語を見たくなくて、それを永遠にしてしまいたいんです。物語が終わらなきゃいいなあと思った挙句、最終巻を買ったのに読めないということが多くて。

――終わってほしくない気持ちが強いんですね。

ReoNa そうなんです。最終話を見たあとは、それがハッピーエンドでもバッドエンドでも、毎回同じ気持ちになるんです。「あ~、終わっちゃった……」って。昔から物の変化とか環境の変化、終わるということがあまり得意じゃなくて。夏休みの終わりも苦手だったし、新学期も終業式も苦手だったし。だからこの歌詞の“幸せな物語を読み終わらずに済むように”というのはすごく共感できました。

――たしかに最終回というのはその物語の世界の終わり、世界の果てなわけですもんね。

ReoNa そう、好きな作品は一生終わらないでほしいですよね。ずっと観ていたいし、ずっと読んでいたいし。でも、ちゃんと完結まで観終わってないと意外と内容を忘れてしまったりするので、好きな作品ができるたびに、自分の中でせめぎ合いがあるんです。

――なかなか難儀な性格ですね(笑)。

ReoNa そう、難儀なんです。怪物なんですよ、本当に(笑)。

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