ネオ渋谷サウンドユニット・ORESAMAスペシャルインタビュー!第1回はORESAMAのルーツに迫る!

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ネオポップスユニット・ORESAMAへのインタビュー、第1回はメンバーの小島英也、ぽんのルーツを直撃!80年代のバイブスを感じさせる音楽を紡ぐ90年代生まれの2人。彼らの独特な音楽はいかにして生まれたのだろうか?

――リスアニ初登場ということもあり、一番起点の所からお伺いしたいと思っております。まず結成の経緯は?

小島英也(以下小島) 同じ地元で同じ高校に通っていまして、その時に僕がバンドを組んでいたんですけど、偶然ぽんちゃんが歌ってる所を見て「あ、この子歌上手いなあ」と思ってバンドに誘ったのがきっかけです。

――地元ってどちらなんですか?

ぽん 長野県の諏訪市です。そこで出会って、上京をきっかけにこの二人でやり始めたっていう感じです。

――地元で結成していたバンドの時はまた違うバンド名が付いていたんですか?

小島 一緒なんです。メジャーデビューまでは片仮名で「オレサマ。」ですね。

――ぽんさんの歌を聴いたきっかけというのは?

ぽん 学校の文化祭みたいなもので。部活の合唱とか、クラスの合唱とかあるじゃないですか。そこで歌ってたんですけど、私の声がデカすぎて合唱が成立しなかったっていう(笑)。それで「あいつ歌える」ってなって。

小島 もうこの子の声しか聴こえないので(笑)。

――ある意味すごくロマンティックな話に聞こえますけど(笑)。「もうこの子の声しか聴こえない」みたいな。

小島 でもまあそれは音量的な問題なんですけど(笑)。デシベルの問題で。歌もめちゃくちゃ上手かったんで、ちょうど僕のバンドもボーカルを探してたんで、その時に初めて声を掛けたら「やります」ってすぐに言ってくれたので、そこでバンドを組み始めて。

――ぽんさんは音楽活動やバンドに興味はあったのですか?

ぽん 母がずっとバンドを組んでほしいと言っていて。なので、言われて「あ、いいよー」っていう感じで。それが初めて喋った会話なんですけど、それで組み始めました。

――それはまたすごいご家庭ですね。そしてじわじわと接点を作っていって「実はボーカルをやってほしい」と伝えた訳ではなくて、もういきなり。

小島 もう「バンドやらない?」と一言目に言ったら、二言目で「いいよ」という感じで。で、大学進学と同時にみんなバラバラになっちゃったので個々でやってたんですけど、僕が曲を作っていたのでそれを歌ってくれる人居ないかなと思って、たまたま東京に居たぽんちゃんに「歌ってみる?」って声掛けたらその時も「やります」って言ってくれたんで。そこからが二人組で活動するスタートですね。

――一番初めの頃、地元で音楽をやっていた頃と現在の音楽のスタイルは、近いものですか?それとも全く遠いものですか?

小島 高校の時はコピーバンドだったので、オリジナルは一曲くらいしかやらなくて。東京事変とか、JUDY AND MARYとか。

ぽん あとSHAKALABBITSとか。

小島 SHAKALABBITSはやってないって。

ぽん やったやった。

小島 やったっけ。

ぽん えーやったよ!

小島 覚えてない!アヴリル・ラヴィーンじゃない?SHAKALABBITSはやってないよ。

ぽん アヴリル・ラヴィーンもやったけどやったよ!

小島 ……そうですか(笑)。

――ちょっと殴り合いみたいな感じで(笑)。

小島 しますか(笑)。

ぽん いや、結構です(笑)。

――東京事変だったり、JUDY AND MARYだったり、アヴリル・ラヴィーンだったり、ジャンル問わずその時やりたいことを自由にやっていくイメージですかね。

小島 ただ東京事変は多かったですね。もうみんな好きだったので。東京事変だけはすごく曲数いっぱいやってましたね。

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