【座談会】リスアニ!の10年を振り返る<br>第2回 創刊1年目と“リスアニ!LIVE”の開催

【座談会】リスアニ!の10年を振り返る
第2回 創刊1年目と“リスアニ!LIVE”の開催

2020.04.17
座談会

2010年4月にしたアニメ音楽誌「リスアニ!」。その10年の歴史を振り返るべく、歴代編集長3人と、創刊から現在に至るまで執筆に携わるライター陣を迎えた座談会。連載第2回目は創刊後4年目くらいまでの話をじっくりと……と思いきや、『涼宮ハルヒの憂鬱』や、創刊号の表紙でもある『けいおん!』、創刊時に抱いた青臭いけど熱い想いなどに花が咲く6人です。

西原史顕前回はリスアニ!創刊までを振り返ったわけだけど、改めてリスアニ!は自分たちに戦略があって成功させたというよりは、お客さんのニーズも含めて、アニメにまつわる時代の流れに運良く乗ることができたんだなって実感する。ちょうどメーカーやライターなど雑誌の作り手側に、やり場のないやる気を持っていた人間たちもいて、彼らと巡り合うことができたのも大きい。

馬嶋 亮アニメがちょうどマスに広がっていった時代だよね。

西原我々の青春ですよ。

冨田明宏まさにそうだね。

澄川龍一なんかギラギラしてたよ、みんな。

冨田自分は、それまでにめちゃくちゃ原稿を書いていた媒体がなくなって死活問題に直面してたしね(笑)。

西原30歳前後のようやくまともに仕事で飯が食えるようになってきたタイミングで(笑)、ここで何か当てないとヤバい!みたいな感じはあった。僕らって“失われた世代”って言われていて、就職も氷河期だったし……。

日詰明嘉ちなみに、歳はみんな同じくらいだっけ?

冨田僕は(19)80年生まれで、西くん(西原)と同い年。龍ちゃん(澄川)が2つ上(78年生まれ)だよね。Qちゃん(前田)は82年生まれだ。

日詰まさに“ロストジェネレーション(失われた世代)”か。

冨田この世代の人たちが、同世代として“僕たちの音楽”って語れるものがアニメの音楽だったというのも大きいと思う。いわゆるJ-POPのビッグヒットにピンとこない世代が出てきたっていうか。一方で、“アニサマ”(Animelo Summer Live)の規模がどんどん大きくなっていったりとか。

西原ニコニコ動画でボカロPが面白いことになっていたり。それこそ、米津(玄師)がハチだったとかね。

澄川創刊当時は、アニソンというものが注目された2005〜2006年から5年経ってシーンが一度成熟して、新世代が出てきたタイミングだったっていうのもちょうどよかったんだと思う。

西原つくづく……リスアニ!は運に恵まれたよね(笑)。

『涼宮ハルヒの憂鬱』と『けいおん!』を語らずには先に進めない!

冨田2008年に「イミダス」から「アニソンとクールジャパン」というテーマで執筆依頼があったのを思い出したんだけど、そのくらいから「今のアニメってどういうものなの?」って外側から聞かれるような仕事がすごく増えた気がする。音楽業界誌の「オリコン」とかに『けいおん!』(2009年放送)の原稿をたくさん書いた印象がすごくある。

澄川それまでアニメ、特に深夜アニメを扱っていなかった媒体さんが、どう取り扱ったらいいか聞きにくるような感じはあったね。

冨田言い方は悪いかもしれないけど、ライターにとって“けいおん!バブル”みたいなものは体感としてあったよね?

馬嶋『けいおん!』はめちゃくちゃ売れたもんね。

日詰『けいおん!』の前にも、『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年放送)のキャラクターソングがたくさん出て、“ハルヒバブル”もありましたね。出せば必ず売れるような雰囲気だった。前田さんは某誌で『ハルヒ』担当だったと思うんだけど、当時はやっぱりいっぱい書いた?

前田 久めちゃくちゃ書いた。読者の人向けに説明すると、某アニメ誌には作品担当という、ある作品に関する記事はひとりのライターに原則的にすべて任せるというシステムがあって、僕が初めて担当することになったのが『ハルヒ』だったわけ。当初は雑誌として『ハルヒ』をそんなに押している感じではなくて、だからこそ僕みたいなペーペーに任してくれたんだと思うけど、2ページで始まったものが、増ページが繰り返されて、最終的には『ハルヒ』の小冊子をつけるまでになって。アニメ誌でもそんな感じだったから、いわゆる一般層にとっての『ハルヒ』って、“得体の知れないもの”だったんだと思う。当時の多くの人にとってのライトノベルへの認識って、「ロードス島戦記」や「スレイヤーズ」の頃で止まっていたんですよ。若者向けのファンタジーみたいな認識だった。そこに急に現代もので、SF要素があって、美少女ものでもある「ハルヒ」が出てきて、「ライトノベルってそもそもなんなんだ?」と。あと、当時は京アニ(京都アニメーション)も今みたいに知られていなかったから「京アニってどんな会社?」っていうのもあったし、そもそも「深夜アニメってなに?」だったし。そういうあらゆる「なに?」に答える形でどんどん執筆依頼が来る感じだった。

冨田『フルメタル・パニック? ふもっふ』(2003年放送)がすごく好きだったから、同じ京アニ作品だからって『ハルヒ』の初回放送を観たんだけど、エンディングで「ハレ晴レユカイ」が流れたときに「なんだこれは!」って衝撃を受けた。時代が変わる音がもう既にしてるぞ!って。

澄川そういう得体の知れなさって、『けいおん!』の音楽に対してもあったんだと思うんだよね。取材対象を歌っている人にするのがいいのか、アニメのプロデューサーやスタジオがいいのか、それとも楽曲を作った作家にすればいいのかを悩む媒体も最初は相当多かったんじゃないかと。アニソンの聴き方が確立されたのが『けいおん!』だったと思うな。

前田作家の皆さんは今のものだけじゃなくて古い洋楽なんかも聴いて影響を受けてきたなかで曲作りをしているわけで、そういう文脈がわかる僕たちがそこを繋がないといけないよねってみんなとよく話したのを思い出す。まだ20代だった頃の熱い思い出(笑)。

澄川今考えるとちょっと恥ずかしいかも(笑)。

馬嶋でも、その捉え方はタワーレコードの人間としてはやりやすかった。例えば、キャラソンの隣にレッド・ツェッペリンのCDを置いて、洋楽を知らない人にも興味を持ってもらう施策ができたりとか。そういうのって、アニメ専門店にはない方向性の売り方だから。

澄川俺もトミーも元タワーレコードなわけだけど、CDショップでいう「併売」の発想ね。

冨田amazonなんかでもある、「これを買った人はこれも買ってます」みたいなことね。

澄川売り場の話になるけど、ショップでは試聴機のDISC2、DISC3に入っている関連作品をどう売るかっていうのも考えるわけですよ。

馬嶋そこの売り上げってバイヤーのセンスにかかってたりするんですよ。あとでちゃんと分析されて、バイヤーのセンスが数値化されるんで、ダメだと凹むんですよ。

冨田そうそう(笑)。音楽的なルーツを掘り下げるのは「アニソンマガジン」でもやってたけど、それがどこまで響いているかは当時わからなくて、自己満足なんじゃないかって不安があったな。

西原だから、めちゃめちゃ読んでたって!(詳しくは第1回参照)。

前田それは雑誌の大事な機能ですよ。「誰が読んでるんだろう?」って不安になったとしても、伝え続ければそこに感化された変な人が突然現れるんだって(笑)。

西原僕みたいな人間がね(笑)。

冨田でも、元ネタみたいなものって、知ってたほうが絶対楽しいじゃん。

『Angel Beats!』の大ヒットが リスアニ!の継続を後押ししてくれた

馬嶋創刊した2010年でいうと、『Angel Beats!』もリスアニ!にとっては大きな作品だったけど、振り返るとどう?

西原原稿はほとんどが澄川さんだね。

澄川めちゃくちゃ書いたし、イベントの司会もやらせてもらって。

西原duo MUSIC EXCHANGEでやったリスアニ!の公開取材(2010年6月8日開催)でLiSAのパフォーマンを観て、僕以上に上司と社長の2人が熱くなっていたのを思い出すな。

澄川あのときはまだリスアニ!に所属していなくて、外部のライターだったんだけど、ソニマガ(ソニー・マガジンズ/現エムオン・エンタテインメント)の人がザワついてたっていう記憶が俺にもある。イベントのあと、飯食いに連れてってもらったんだけど、そのお二人に「アニソンって今どうなってるの?」ってすごく聞かれた。

西原ソニマガ以外のソニー・ミュージックの関係者も来てたけど、「なんかすごい奴が出てきたぞ」ってなってた。あの衝撃は確実に何かを変えたと思う。2回目の“リスアニ!LIVE”が日本武道館で開催されたのは、彼女に出演してもらえたら埋まるんじゃないかっていう期待感があったからだし。

冨田よく考えるとすごいスピード感だったね。

西原それこそ『けいおん!』の2期と同じ放送タイミングだったけど、『Angel Beats!』の勢いはすごかったよね。リスアニ!が関わったバンドスコア(Girls Dead Monster OFFICIAL BAND SCORE「Keep The Beats!」)もよく売れました(笑)。

リスアニ!LIVE 2010と2011の思い出

馬嶋“リスアニ!LIVE”の話が出たのでそこも振り返ろうと思うんだけど、2010年(12月19日@東京国際フォーラム・ホールA)の初回から皆さん観てますよね。僕はタワーレコードの人間として物販で参加させてもらっていて、グッズのTシャツが届かないというアクシデントもあったりして(笑)。

澄川あったあった!! 今だったらシャレにならないと思うけど、当時は「新しいイベントっぽいなぁ」と思って見てた(笑)。

西原4月に創刊して、その年の10月に2回まわしのイベントをやるなんて無謀だよね(苦笑)。2010年の“リスアニ!LIVE”で個人的に思い出深いのは、川田まみさんに出ていただいたことなんだよね。しかも“DAY STAGE”のトリをやってもらってすごく盛り上がった。

冨田ああいうイベントにI’veのボーカリストが出るのはまだそんなになかったしね。2010年の“アニサマ”にKOTOKOさんがシークレットで出たくらいだったと思う。まみさんが歌手活動引退の発表を“リスアニ!LIVE”でやったのは、2010年の出演があったからだと個人的には思ってる。

日詰私が初回の“リスアニ!LIVE”で印象深いのは高垣(彩陽)さんの「キグルミ惑星」。「キャラソンでこの歌唱力はすごい!」って話題になっていたんだけど、その曲を生で、しかも開催が初めてのイベントでやるっていうことに驚いた。選曲はどうやって決めてたの?

西原基本的にはアーティストさん側に委ねてた感じだった。こちらから差し戻したりはなかったと思う。

日詰ということは、高垣さんサイドがあれをやるって決めたってことか。

冨田『はなまる幼稚園』を知らない人は、あのすごさに呆気にとられてたよ。

澄川あれってすごく象徴的だったと思う。既存のイベントよりも一歩踏み込めたことのあらわれというか。あの曲は2話のEDテーマだけど、フルだと7分近くあるプログレだし、いわゆる通常のOP・EDテーマとは違ってすごく個性的なキャラソンで、そういう曲やノンタイアップの曲もやれる場所としての“リスアニ!LIVE”の表明というか。

西原タイアップかノンタイアップかは関係なく、とにかくアーティストの皆さんが今伝えたい音楽をやってくださいというのが基本スタンスだったから。

冨田全部生バンド演奏ということだけじゃなくて、そういうスタンスが“対バンライブ”だって感じさせるんだと思う。

澄川翌年からは会場が日本武道館になった。編集会議でそれを聞いたときは「マジか!」ってなって、同じ日(2011年12月4日)にあるほかのイベントを調べたよね。

西原そしたら水樹奈々さんの初めての東京ドーム公演と被ってて、全員が“シーン”ってなった記憶がある(笑)。実際、2011年の“リスアニ!LIVE”は1ステージ公演だったこともあって、ブッキングの方針や各アーティストのセットリスト(曲数)、トータルの公演時間なんかがちょっと特殊だったよね。

馬嶋2011年はアイドルマスター(中村繪里子・浅倉杏美・沼倉愛美・平田宏美・下田麻美)が初めてバンドで歌ったんだよね。

西原本家のライブで生バンドをやる前に、リスアニ!で試してもらいました。初ということで、慎重に慎重に準備したのを覚えていますね。

澄川アイマスに関しては、その年の11月にアイマス特集号(リスアニ!Vol.5.1)を出していて、その次のVol.6でも表紙・巻頭特集をやって。だから、Vol.5.1の制作のなかで、アニプレックスさんに繋いでいただきながら、バンダイナムコエンターテインメントのスタッフさんともコミュニケーションが取れる状況でもあったんだよね。

西原そうだったね。なんか雑誌でもライブでも、アニメ界ではそれまでは無理だと思われていたことを、“音楽が切り口なので”という言葉だけでいろいろとやらせてもらったのが、リスアニ!の初期なのかなって思う。

前田あと、リスアニ!創刊前後で印象的だったことで、ニコニコ動画の勃興とか、MAD文化とか、いわゆる非公式な創作物の盛り上がりも忘れちゃいけないかなと思う。

西原組曲が流行ったりとかね。

冨田そこからランティスが「ランティス組曲」を出したり(2008年)、新しい文化に寛容な空気感があった。「こんなに好きなんだぞ!」っていう表現として生まれる非公式作品ならではの面白さがあった。

澄川逆に言うと、ニコニコ動画なんかの動画サイトが『ハルヒ』やその後の作品のヒットを後押しした部分もあると思うんだよね。

馬嶋リスアニ!では海外イベントも増やしてきていて、それもあっていろいろとウォッチしているんだけど、今bilibiliで起きてることとかを見てるとすごく興味深かったりする。今の日本の動きとは違う盛り上がりをしている作品とかアーティストがいたりとか。

前田日本以上に中国のほうで人気あったりする人もいるもんね。

馬嶋そうなんですよ。そこは引き続き観察して今後のイベント作りに繋げていけたらいいなと思います。さて、今回はここでお時間となってしまいまいた!(汗)。次回は3年目以降のお話やリスアニ!TVのお話もできるといいなと思います!

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