【連載】アニメ音楽の現場<br>第2回:中西秀樹(ワーナー ブラザース ジャパン ローカルプロダクション/アニメ 音楽プロデューサー)

【連載】アニメ音楽の現場
第2回:中西秀樹(ワーナー ブラザース ジャパン ローカルプロダクション/アニメ 音楽プロデューサー)

2019.11.29
連載

A&R、宣伝、プロデューサーなど、普段は表舞台に立つことのないアニメ音楽の陰の功労者に取材し、各人がそれぞれの現場でどのような景色を見つめ、どのような思いを抱いて仕事をしてきたのかを聞くことで、この10年のアニメ音楽シーンの変化を振り返るシリーズ連載「アニメ音楽の現場」。連載第2回のゲストは、ワーナー ブラザース ジャパンの音楽プロデューサーとして数々の作品やアーティストに関わる中西秀樹氏。これまでの経歴や仕事への向き合い方、シーンの未来に対する思いなどについて語ってもらった。

まずは中西さんの現在のアニメ音楽との関わり方について教えてください。

中西秀樹僕はワーナー ブラザース ジャパンのローカルプロダクション/アニメというアニメ映像を制作する部署に所属していまして、そこで音楽周りの制作・宣伝を担当しています。弊社ではいわゆる音楽事業を専門とする部署は存在しないんです。なので他の音楽レーベルさんと比べるとファジーな立ち位置ではあるのですが、基本的には映像と音楽をクロスオーバーさせるビジネスに携わっています。

アニメ音楽の制作・宣伝の仕事を始めたきっかけは?

中西アニメの仕事に携わるようになったのは、2006年の夏にジェネオン エンタテインメント(現在のNBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)に入社してからになります。それまでは別のレコード会社にいたのですが、僕は昔からハロプロ(ハロー!プロジェクト)のファンでして。ハロプロのプロデュースをされていたつんく♂さんが楽曲を手掛けられてた時東ぁみ(※1)さんのCDを当時ジェネオンでリリースしていたんですね。それは実は流通を手がけていただけだったのですが、僕は勉強不足で「この会社に入ったらハロプロ関連の仕事できるのかなあ」ぐらいの気持ちで面接を受けに行きまして(苦笑)。そこで面接時に「アニメの部署に入ってほしい」というお話をされて、僕は当時アニメと言えば『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)ぐらいしか観てなかったのですが、自分はハロプロオタクのフィールドにいたので、そういう文化に対する理解もありましたし、「アニメもアイドルもそれほど大きく変わらないだろう」という超浅はかな心づもりで入社しました。
※1:時東ぁみはサンミュージック所属でハロプロのメンバーではないが、つんく♂が楽曲プロデュースを担当、THE ポッシボーと共同名義で作品を発表するなど、当時はハロプロとの繋がりが強かった。

では、そこから本格的にアニメカルチャーに触れたわけですね。

中西はい。入社が決まってから1週間は毎日秋葉原に通ったり、レンタルビデオで『藍より青し』(2002年)と『まほろまてぃっく』(2001年)、『魔法先生ネギま!』(2005年)というアニメ作品を借りて観たりしました。そのときから単純に面白いなと思っていたのですが、ジェネオンに入社して最初に出会った『Fate/stay night』(2006年)と『BLACK LAGOON』(2006年)というコンテンツがすべてを変えてくれたんです。特に『BLACK LAGOON』のOPテーマだったMELL(※2)さんの「Red fraction」に出会ったときの衝撃は今でも忘れられないですね。僕はそれまであまりアニソンを聴いてこなかったので未知のものだったのですが、出社初日からドカンとやられてしまって。もう本当に「I'veありがとうございます!」っていう感じです(笑)。
※2:MELLはI'veに所属していたボーカリストの一人で、2006年に「Red fraction」でジェネオンよりメジャーデビュー。その後、2013年にI'veを卒業し、音楽活動を休止した。

具体的にどんな部分に衝撃を受けたのでしょうか?

中西今まで自分が聴いたことのない音楽だったので「こんなものがあったんだ!」という感覚が強かったですし、そんなにすごいものを見つけられずにスルーしてきた自分に対する悔しさもありましたね。その夏はカルチャーショックだらけだったんですよ。I'veの音楽をきっかけとしてアニメ音楽への興味度合いが非常に高くなっていろいろと聴くようになりましたし、8月にはわけのわからない状態のままコミケ(コミックマーケット)に行って、もう「何じゃこりゃ!?」ですよ(笑)。その年の12月にKOTOKOが横浜アリーナで単独ライブを開催したのですが、当時の僕は彼女のプロモーションをしていたので、間近で見ながら彼女の影響力のすごさを実感したりもして。ただ、『灼眼のシャナ』(2006年)のOPテーマだった「being」がオリコンのウィークリーランキングで4位を獲ったり、数字でも結果を出していたんですけどアニメ音楽という点で切り込みにくい感じはぬぐえませんでしたね。なかなか取り上げていただけない怨念がどんどん積もっていった時期でもありました(笑)。

お仕事を通じてアニメ音楽の素晴らしさに気づいていったわけですね。

中西それと『Fate/stay night』の主題歌を担当したタイナカサチと樹海も印象的でした。樹海にいた出羽(良彰)くんは今や人気プロデューサーになっていますが、当時から彼は優秀なクリエイターでしたね。あとは『大魔法峠』(2006年)や『撲殺天使ドクロちゃん』(2005年)、『苺ましまろ』(2005年)を通じて声優さんによる音楽の面白さも知ることができて、とにかく新しいことだらけでした。

そのジェネオン時代は、どのような立ち位置でお仕事をされていましたか?

中西今とあまり変わらないんですけど、宣伝全般です。基本的にはプランニングを立てて、メディアにアプローチや営業をかけたり、アーティストのケアやアテンドを行ったり、スケジュールの調整、上がってきた原稿やVTRのチェックなど、宣伝としての一通りの仕事を行っていました。

中西さんはその後、2011年にワーナー ブラザース ジャパンに入社されたわけですが、お仕事的にはどのような変化がありましたか?

中西ちょうど入社したときに、アニメ作品のプロデューサーの川瀬(浩平)さんに声をかけていただいて、『ロウきゅーぶ!』(2011年)という作品で初めて原盤制作を担当したんです。このときにとても印象的だったのが、主にハロプロやスターダストプロモーションのアイドルに曲を書いていた人たちに楽曲の制作をお願いできたことですね。当時はまだアイドルシーンのクリエイターとアニメ音楽のクリエイターがあまりクロスしている印象がなくて。例えば2期(『ロウきゅーぶ!SS』)ではアップアップガールズ(仮)の曲を書いていたPandaBoYさんに制作をお願いしたりして。当時の自分は制作の経験がまったくなかったので、作品やキャラクターにあう音楽を自分の引き出しからどんどん出すことで物の作り方を掴んでいったんです。進め方などに間違いも多かったとは思いますが(苦笑)、最終的にはお客さんに楽しんでいただこうとか、びっくりさせたいなということを考えることを、やりながら徐々に学んでいきました。

『ロウきゅーぶ!』はメインキャスト5名(花澤香菜、井口裕香、日笠陽子、日高里菜、小倉 唯)から成るユニット、RO-KYU-BU!がOP・EDテーマを担当して、アルバムも制作するなど、音楽的にも大きな話題になりました。

中西僕はジェネオン時代にKOTOKOやfripSideの宣伝担当もしていた時期もあって、そういったご縁と経験から『ロウきゅーぶ!』のOPテーマ(「SHOOT!」)をこのお二人に書いてもらうことは最初から決めていて、お声がけをさせていただきました。入社していきなり主題歌とキャラソンを5枚、アルバムを1枚作って、そこからライブツアーに出てという感じでしたから、2011年は怒涛の1年でした。基本は宣伝担当だったので、並行して他のアーティストの宣伝もやっていましたから。

そのように様々な作品やアーティストを担当してこられたなかで、ご自身の転機となった出会いを挙げるとすれば?

中西転機というととても大げさになりますが、とても印象的な作品、アーティストさんとはお仕事をさせていただいたと思います。『アクセル・ワールド』(2012年)という作品では、主役の黒雪姫を演じていた三澤紗千香さんという若手の声優を主題歌に起用することで、アーティスト育成的なこともやらせていただきましたし、KOTOKOさんやALTIMAといった方々とは音楽とアニメ作品がをしっかりとクロスする形で宣伝していきました。あとは僕にとって外せないアーティストと言えば岸田教団&THE明星ロケッツです。自分で単身、ライブにお邪魔して、その場で名刺を渡して、お声がけさせていただいたという経緯もあって。そういう意味では『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』(2010年)や『GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』(2015年)といった作品も思い入れが深いですね。

岸田教団の皆さんとはどのようにして出会ったのですか?

中西僕がジェネオンに入って3年目ぐらいの頃に、秋葉原でふらっと、とらのあなさんに入って、かっこいいジャケットのCDがあるなと思って手に取ったのが、岸田教団&THE明星ロケッツの『Electric blue』(2008年)というアルバムだったんです。僕はその当時、同人音楽のことを全然知らなくて、東方Projectのシーンやアレンジ文化の知識もなかったのですが、すごく衝撃的な作品でした。彼らがその次に出した『LITERAL WORLD』(2008年)というオリジナル作品も素晴らしくて、これは絶対に何か一緒にやりたいと思ったんです。そこで意を決して(笑)、彼らのツアーの福岡公演に単身で行って、ライブが終わった後に「関係者なので挨拶させてもらってもいいですか?」という感じでお声がけしたのが最初でした。

めちゃくちゃ積極的ですね(笑)。

中西そのツアーの仙台公演にも行って、東京のファイナルでは上司も連れて行って、という流れのあと正式のお願いをして、一緒に仕事をすることになったんです。その時点で『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』の企画が動いていたので、僕が社内にプレゼンして。ちなみにこのタイミングで新しいアーティストさんを探す、声をかけさせていただくという意味では岸田教団&THE明星ロケッツと黒崎真音さんが同時に動いていましたね。とても思い出に残っています。

中西さんには「リスアニ!Vol.1」(2010年4月発行)の「アニソン業界座談会」という記事に出演いただいたり、創刊時からお世話になっていますが、「リスアニ!」との関わりで印象に残っている出来事はありますか?

中西いや~、「リスアニ!」はもう遊び場ですよ(笑)。ちょっと語弊がありますかね(笑)。最初の出会いは西原(史顕/「リスアニ!」の二代目編集長)さんで、そのときの彼は「WHAT's IN?」の編集部にいて、そこで通常のプロモーション活動、売り込みをさせていただく中で、アニメスタジオや作品の話をして盛り上がったのがすべての始まりでした。「リスアニ!」のスタッフには当時から「面白いことをやって引っ掻き回してやろう!」という気概を感じていたので、こちら側としても「どんどんやってください!やりましょう!」と。当時のアニメ関係の紙媒体だけでなく、数多あるメディア媒体のなかでも、とってもオルタナティブな感覚を感じられました。

他のメディアとは違う匂いがあったわけですね。

中西「リスアニ!」は、アニメだけでなく音楽のこともちゃんと語れるライターさんをフックアップした功績が大きいと思います。もちろんそれ以前にも、そういった媒体さんはあったかもしれませんが、とにかく熱量がありました。それはアーティストを担当している身からするとすごく安心できることなんですよ。当時は冨田(明宏)さん、澄川さん、前Q(前田 久)さんといった「アニソンマガジン」からの流れの人が多かったと思いますが、そういう人たちとの接点をたくさん持てたのが「リスアニ!」でした。それと僕のなかでは、「リスアニ!」本誌だけでなく、そこからの派生コンテンツも印象深くて。なかでも「リスアニ!STUDIO」(※3)と“リスアニ!PARK”(※4)ですよね。
※3:ニコニコ動画で展開していたスタジオライブ&トーク生配信番組。2014年8月から2016年2月まで全7回が放送された。
※4:会場内に複数のステージやブースを設置し、来場者が自由に回遊しながら楽しむことのできる複合型アニメ音楽イベント。2017年8月にVol.01、2018年6月にVol.02を開催(会場はともに新木場STUDIO COAST)。

馬嶋 亮(リスアニ!編集長)僕から補足すると、「リスアニ!STUDIO」の最初のアイデアをくれたのは中西さんでしたよね。

中西たしかそのときは新橋でいろんな人と飲んでいて(笑)、みんなで「(アーティストの)歌を見せる場がないことが悲しくてしかたない」という話をしていたんですよね。そういった点においては「リスアニ!STUDIO」は素晴らしい環境で、これは絶対に終わらせたくないと思ったコンテンツのひとつでした。ちょっと偉そうに聞こえてしまう話になりますけど、メディアを育て、大きくしていくこともプロモーターの仕事のひとつだと思うんですよ。ただお金だけの関係性ではなくて、メディアそのものが育つことで、そのメディアがお客さんを育ててくれると思うんです。

“リスアニ!PARK”についてはいかがですか?

中西“リスアニ!PARK”は新木場STUDIO COASTという3,000人弱のキャパの空間のなかで、余すことなく音楽を鳴らし続けているわけじゃないですか。ライブもDJもあるミクスチャーな感じは今の時代感にもマッチしていますし、それがバラバラなわけじゃなく、それぞれがちゃんと成立していて、「こういう楽しみ方があったんだ!」という衝撃がありました。それに関係者側の立場からしても単純に楽しい(笑)。なので「リスアニ!」はメディアとしての信頼はもちろんですけど、派生コンテンツの魅力も含めて一緒に盛り上がっていきたいという気持ちが強いです。

ありがたいお言葉です。そのように様々な形でアニメ音楽に関わってきた中西さんですが、今のお仕事のどのような部分にやりがいを感じますか?

中西まずひとつは、関わる音楽がアニメ作品にとっていいものとしてお客さんに提供できたかということ。それとアニメを通じてアーティストが成長していく姿を見られることもやりがいのバロメーターで、その2軸が自分の中では大きいですね。

どんなときにアーティストの成長を実感しますか?

中西日々、つぶさに感じることはあります。わかりやすいところだと、ライブやレコーディングといった体から出る表現で感じることもあれば、取材を通して「こういう受け答えができるようになったんだ」「こんな気遣いできるようになったんだ」という人間的な成長を感じることもありますし。アーティストの音楽活動をサポートする僕らの立場としては、音楽を通して成長していってくれるのはありがたいことですし、特に若い子を担当すると強く感じますね。

それこそ中西さんが現在担当されているsora tob sakana(通称:オサカナ)のメンバーは、全員まだ10代ですものね。

中西ただ、オサカナに関しては、アイドルという非常に険しくてスパルタなフィールドのなかで活動している子たちなので、もちろん年齢的に人間的な成長を感じる瞬間もありますけど、逆に僕らのほうが彼女たちに教えられる感覚が強いです。それはたぶん、今までのフィールドと違う方とお仕事をすると今までと違う刺激が得られるということでもあって、それは自分の中で新しいものを見つけるために重要視しているポイントでもあります。例えばディアステージ(※5)との出会いもそうでした。
※5:秋葉原にあるライブ&バースペース。2007年12月にオープン、2008年9月に現店舗(DEMPAビル)に移転し、でんぱ組.incをはじめ同店のキャストが次々とアーティストデビューした。

当時ディアステージのキャストだった黒崎真音さんがジェネオンからデビューしたのは、中西さんの協力があったからというお話を聞きました。

中西ディアステージも、冨田さんに「秋葉原に面白い場所がある」と教えてもらって一緒に行ったのが最初だったんです。たぶん僕がハロプロが好きであることを知っていたからだと思うんですけど(笑)。当時は黒崎真音さんや、今はでんぱ組.incで活躍している子たちがお店にいて、秋葉原から何かを起こしてやろうという雰囲気がありましたね。今でこそ全国区の観光名所になっていますが、あの頃はことさら野武士感があってすごかったです(笑)。

先ほどの岸田教団&THE明星ロケッツのお話や、インディーアイドル界隈で注目を集めていたsora tob sakanaをレーベルに迎え入れたこともそうですが、中西さんはそういう新しくて面白そうなものに対するアンテナを常に立てている印象があります。

中西もちろん四六時中それを探しているわけではなくて、人の巡り合わせや運もあると思いますけど、自分が面白いと思うものに対してはちゃんと行動しようとは心がけていますね。ただ、最近は新しいものを見つけられていなくて、それがいちばん悔しいことのひとつなんですよ。

先ほどMELLさんを初めて知ったときに「悔しさを感じた」とお話されていましたが、その気持ちがひとつの原動力になっているんですね。

中西それはありますね。ただ、そうやって新しくて、面白いと思うアーティストを引っ張ってくることができても、それをビジネスとしてしっかりものにすることの難しさは感じますし、大変な作業です。

そのお話に繋がるかもしれませんが、ご自身がお仕事をするにあたって大事にされていることはありますか?

中西お酒かな?(笑)。まあそれは冗談ですが、僕は今までまな板の上に何かを用意してそれを調理するような仕事もやりましたし、自分で魚を釣ったり野菜を収穫するような仕事もしましたけど、結局大事なのは、作ったものを誰に食べさせてどういうリアクションを取ってもらえるのかを想像することだと思います。とにかくちゃんとお客さんとアーティストのほうを向いて、距離感をしっかり保った状態で、種が実になるように考えるのが僕らの役割だと思うので。

では、この10年におけるアニメ・アニメ音楽のシーンはどのように変化したと感じますか?

中西パッケージのセールスの落ち込みや音楽配信の台頭、海外での盛り上がりといったビジネス部分での変化もありますが、いい意味で変化したのは、アニメ音楽にせよ、アニメ作品にせよ、作品のクオリティがどんどん上がっていることだと思います。ただ、一方で作品数があまりにも増えてしまったので、良いものが気付かれることなく埋没していく可能性が高くなってきた10年でもあるなと感じています。僕らはそこに埋没しないようなものをどんどん作って宣伝していくべきだし、そのための手段や手法を考えることが、A&Rやプロデューサーといった人たちには必要だと思います。あとはどれだけそのアーティスト、作品にまつわるストーリーが作れるかですよね。

たくさんの人に気づいてもらうためにはストーリー作りが大切だと。

中西すごく大事だと思います。それはこの会社に入って良かったと思うところで、映画の宣伝マンというのは作品が封切りするまでのストーリーの作り方がすごくて、告知解禁の出し方ひとつとってもどれだけドラマチックにするかを考えていて。もちろんそれは映画というフォーマットならではの部分もあると思いますが、きっと音楽にも当てはめられるところはあると思うんですよ。

例えば海外の音楽市場はデジタルストリーミングが主流になっていて、日本を含め世界中の音楽を気軽に聴くことができる環境が整いつつありますが、海外のユーザーには日本の音楽があまり届いていない実情があります。そこには言葉の壁もあると思いますが、音楽をいかに届かせるかというのは、この先さらに重要視されることだと思います。

中西そうですね。10年前からやっていた「音楽を届ける」手法が効かなくなっている実感があって、そこで「リスアニ!」のようなメディアと組んで何かに取り組むというのは、普遍的な「熱量」がより増幅されて「音楽を届ける」ための説得力を持つという意味では、とても重要だと思っています。

では最後に、アニメ・アニメ音楽の未来をどのように見ているか、現場に携わる人間のひとりとしての意見をお聞かせください。

中西優秀なクリエイター、アーティストがどんどん出てきていますし、そういう意味で制作の部分における未来は明るすぎると思うんです。あとはそれを広げる側、売る側の未来がどこまで追いつけるかですよね。たぶん今はお客さんの方が全然先を行っている状況だと思うので、そこにどう追いついて、お客さんをいい意味で裏切るようなことができるのか。ただ、今まではCDだったものが、ライブビジネスや配信といった形態に代わっているだけだと思うので、基本はいいものを作ってきっちり届けるというだけの話かなとも思っていて。そこさえブレなければ、このシーンはまだまだ明るいと思います。

やはり行きつくところは「良いものを作る」ということですね。

中西それと若い子たちには、どんどんこの業界に入ってきてほしいです。フッと後ろを振り向いても誰もいなかったら、もう最悪じゃないですか(笑)。若い人がいないと業界全体がしぼんでいってしまうので、楽しくて魅力のある業界だということは、いろんなものを通して伝えていかなくてはならないなと思っています。

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