【特別対談】ミト(クラムボン)×田淵智也(UNISON SQUARE GARDEN)

【特別対談】ミト(クラムボン)×田淵智也(UNISON SQUARE GARDEN)

2019.11.08
対談

リスアニ!創刊10周年を記念してのスペシャルトークセッション、今回はリスアニ!本誌でも「画声人音」「呼び水なんてごめんだ」という連載を抱えるミト(クラムボン)と田淵智也(UNISON SQUARE GARDEN)のふたりに登場してもらった。今回のテーマはズバリ、“2010年代の作家論”。バンド活動をしながらも数々の楽曲を世に放ってきたふたりが見る、アニソンにおけるソングライティングの問題点とは? リスアニ!が追い続けてきた、“作家フィーチャー時代”とも言える2010年代のアニソンシーンを語り尽くす。

今回はクラムボンとUNISON SQUARE GARDENというバンドでも活動するおふたりが、作家としてこのアニソンシーンを10年間どういう眼差しで見つめていたのか、という対談になります。

ミトよろしくお願いします。昔、田淵くんと対談したことあったよね? 2012年の「MARQUEE」だから……8年前か。

田淵智也あのときってアニソンがテーマでしたっけ?

ミトたしかあのときは、アイドルやアニソンの作家がメインストリームに出てきた頃だから、その流れで私たちがセッティングされたんだと思う。

ではまずおふたりの、アニソンシーンとの接近した頃のお話から伺っていきたいと思います。田淵さんは2010年の「カウンターアイデンティティ」が最初ですよね?

田淵ユニゾンではそうですね。

TVアニメ『ソウルイーターリピートショー』のOPテーマでした。アニソンではタイアップではないですが、2011年にLiSAさんに楽曲提供したのが初ですね。

田淵そう、「妄想コントローラー」が最初です。

対してミトさんは、バンドだと2011年の「はなさくいろは」(TVアニメ『花咲くいろは』EDテーマ)が最初ですよね。

ミトクラムボンではそうですね。

田淵「Dill」(2010年にリリースされた豊崎愛生の3rdシングル)っていつでしたっけ?

ミト2010年だから……その前か。

田淵僕としては、あれがアニソン界と作家フィーチャー時代の象徴的な事件だったんですよ。あれを聴いて僕は、「あ、いいんだ」っていう流れになったというか、あれ以降「作家は誰で」ってフィーチャーされるようになった記憶がありますね。むしろ、「頼めばやってくれるんだ」って(笑)。みんなも思ったはずなんですよ。

たしかに豊崎愛生という声優に、ミトさんをはじめクラムボン全員が参加したというのは大きなニュースになりましたよね。

ミトあの時代は、私と牛尾(憲輔)くんが2AD(2 ANIMEny DJ’s)を結成して、アニソンDJを始めたってだけでニュースになりましたからね(笑)。だから当時のアニソンはもうちょっとメインストリームではないものとして思われていたのかな。じゃあメインストリームだったらどうだったんだっていう話でもあるんですけど。

また、おふたりはアニメ・アニソン好きで知られていますが、そもそもおふたりがシーンと接近したきっかけはなんだったんですか?

ミトたぶん私がアニメやアニソンに関わるスタッフと会ったのって、最初は純さま(佐藤純之介/音楽プロデューサー)のような気がして。私がAmazonの年間シングルか何かに、麻生夏子の「Programing for non-fiction」をセレクトしたんですよ。音響的にも良かったし、ストリングスとかアコギのカットアップとかが衝撃的で、「アニメのなかでこれだけしっかり作っているのってなかなかないな」って年間セレクトに挙げたんです。それを純さまが知ってくれて、Twitter上で「会いましょう」って話になったのが2009年か2010年なのかな? その前後に愛生ちゃんがやっていた「おからじ」(文化放送で放送されている「豊崎愛生のおかえりらじお」)で、クラムボンの曲をかけてくれたのを受けて私がTwitterでつぶやいたことにより、担当から連絡が来てという感じで。当時はTwitterが強烈なハブとして機能していたんですよ。

田淵たしかに。僕は、Twitterはもう辞めちゃったんですけど、当時を思い返すとあれで繋がった縁はすごくあったし、実は今俺すげえ損しているんじゃねえか?って気になっていて(笑)。

ミトいや、そんなことないと思うよ。

田淵そっか。僕もたしか、畑(亜貴)さんや黒須(克彦)さんとはTwitterで繋がったんじゃないかな?

同じくQ-MHzの田代智一さんはそれ以前から付き合いがありましたよね?

田淵田代さんはニッポン放送の吉田(尚記)アナの飲み会かな? 僕も当時は業界の飲みに頑張って参加していた頃で(笑)。そこで共通の知り合いから田代さんを紹介していただいて。一方的にめっちゃ好きだったので、酒の勢いで「絶対覚えておいてください、ユニゾン田淵です!」と僕が田代さんの携帯に番号を打ち込んで(笑)。

ミト(蒼樹)うめ先生と繋がったのもその関係?

田淵吉田さんがきっかけだと思います。「田淵くん、『ひだまりスケッチ』って知ってる?」「知ってるもなにもキャラソンまで全部好きです!」って(笑)。その流れで紹介していただいてCDをお渡ししたんですよね、たしか。

ミトそうか。強烈に覚えているんだけど、うめ先生がTwitterでユニゾンのことをポストして、そこで初めてユニゾンを知ったような気もするんだよね、たしか。そのイメージがいまだに残っていて。導入としてはなかなか不思議だけど(笑)。

どちらもバンドをやっているのに、まさかそこでうめ先生がハブになるという(笑)。

ミトだからさっきも言ったけど、Twitterって情報的に強烈なハブだったんですよ。あの当時は発信するも受けるもTwitterのみ、ぐらいな。その情報のプラットフォームが2010年以降のアニメやアニソン周りの盛り上がりを助長している感じはありますよね。元々アニメやアニソンの作家カルチャーって、そんなに表立ってしゃべるものでもなかったじゃない? 最初はTwitterを見て「なんでそんなにあけっぴろげに喋るのか?」と思ったぐらいで(笑)。

田淵僕もそうですね。今でも、率先して「これ好きです」って言うのに抵抗がある性格で育ってきているので、Twitterで有名人が「これ好き」って言うのがどうしても違和感あったし。でもそれがきっかけで広がった縁って、僕に限らずいっぱいあるんだろうな気がしていて。それが遠心力になってアニソンの曲がより認知されるようになったり、その作家が認知されるようになったっていうのが、当時のTwitterにはありましたよね。

ミトうん。各々がクローズドカルチャーだと思っていたアニメがTwitter上で語られることによって、入りにくいと思っていたユーザーも巻き込んでいったと思うんですよ。それがさらにメーカーやクリエイターにまで派生していった。そこで作家チームもコミュニティを作っていくような、そんなカジュアルなツールは当時Twitter以外考えられなかったんだよなあ。

そうしたアニソンにおけるサロン的な場がTwitterにはありましたよね。話をおふたりの作家履歴に戻しますと、ミトさんは2013年に、花澤香菜さんのアルバム『claire』で「melody」を提供していますね。

ミトざーさん(花澤)のデビューは2012年だよね?

田淵満を辞して感はありましたよね。

竹達彩奈さんが沖井礼二さんのプロデュースでアーティストデビューしたのも2012年ですね。

ミト当時沖井くんにも田淵くんと同じようなことを言われたんだよね。「Dill」を聴いて、「やっていいんだって思った」って(笑)。

田淵そうそう(笑)。やっぱりあそこは大きな転換期だったと思うし、制作側だけじゃなくてリスナーも「アリなんだ」って思ったんですよ。みんなのアニソンというカルチャーへの参加権みたいな、参入する権利みたいなのがひっくり返った印象がありますよね。

個人的には竹達さんでいうと、同年に末光 篤さんが手がけた「♪の国のアリス」でミトさんがベースでクレジットされていたことが印象に残っています。

ミト私と末光くんの関係もあるけど、当時竹達さんの曲で私がベースを弾いたというのは、たしかにトピックになっていた気がする。

当時はそうした作詞作曲編曲、あるいは演奏といったクレジットがニュース性になるというか、フレッシュだったんですよね。

田淵逆に今はそういうクレジット先行みたいな方向性が当たり前になってきているじゃないですか。その発端は何かというと「Dill」なんですよね。何度も例に出して申し訳ないんですけど(笑)。で、それがなんでそうなったかというと、やっぱり豊崎さんの引っ張ってくる力もあったような気がしますよね。

ミトあの時代は特にね。

田淵“歌う声優さん”というカテゴリーの中に、豊崎愛生という“マジ音楽オタク”がいたというのが後にも先にも珍しいケースで。そうすると、いわゆるクリエイターのことをわかっているという、ただネームバリューだけで引っ張ってくるものじゃない、そのクリエイターの得意なものをわかって的確な発注ができるんですよ。もちろんその信頼って、シンガー自身じゃなくても、ディレクターやプロデューサーでもいいと思うんですけど。今のアニソンってとにかく細分化しているし市場も幅広くなっているなかで、こういう音楽を作るんだっていう気合いがあるものが見えづらいと思ってます。

ミトなるほどね。

田淵たしかに、今アニソンはコンテンツ的に強いとは思っているんですよ。ただ、今はクレジット先行というのが標準になっているから、そのクレジット上では熱意が出づらいような気がして。もちろん曲によっては聴いてみるとその熱意はわかるんですよ。シンガーがわかっている、プロデューサーがわかっている、ただ有名人を連れてきただけじゃないぞっていうのもわかるんですけど、聴いてみないとわからないというのも問題かなと思っています。ミトさんがおっしゃっていたようにTwitterとかで「この曲すごいよね、この作家もアニソンを書くんだ」っていう事件性みたいのがないというか、曲が多すぎてできないのか……そういう印象がありますよね。

ミトさっき田淵くんが言っていた「この作家なら聴かなくてもわかる」美学というか、そういうのがある一方で、よくわからないものも増えちゃっているというのは感じる。

田淵曲数自体は増えているし、リスナーの数も増えてきているんですよね。そのなかで音楽の質もピンキリだし、作家のモチベーションにも差が出てくると思うんですけど、それは決してセールスと相関関係にあるわけではない。そこがもどかしいなって。

ミトその人を使うことで出てくる影響や、そのためにどれだけ集中して作ったかっていうのが、今はレーベルスタッフではなく作家さん自身が背負わなくちゃいけなくなっている感もあって。言い方は悪いけど、とあるタレントさんがいて「この方ご存知ですよね? じゃあお願いします」という感じで、あとの音楽的責任は作家が背負わなくちゃいけないっていう。

クリエイターのネームバリューが発揮されるという機会が常識となった今、そのクリエイターを起用するプロセスがイージーになってきているのかもしれませんね。

田淵でもそれの解決策はあって、単純に現場の人たちが信念をもって「いい音楽を作るんだ」っていう目的に集約して仕事をすることなんですよね。楽曲の良し悪しは、熱意を入れたほうがよくなるって、自分も関わっているとよくわかるんですよ。やる気があるほうがいい音楽を作れる。しかし、“責任は作家”ってパワーワードですよね(笑)。

ミトもちろん、「背負うぶんにはやったるぞ」っていう覚悟を持っている子がいないことはないんですよ。でもそれには、アニメというカルチャーに対してある程度足を踏み込んでないと引き出せないんだよね。

田淵話がさかのぼっちゃうと、アーティストに「この人は引き上げ方がわかってる」っていう熱意がある人、例えば豊崎さんや中島 愛さんなんかはそれが作品全体のクオリティに出ますよね。そういう人がチームの中にいることが重要な気がして、別にそれはシンガーである必要はなくて、もちろんプロデューサーやディレクターでもいいんですよ。「このシンガーのいちばんいいところを出したい」っていうプランを持っている人がひとりでもいればよくて。もちろん今もそういう熱意に溢れたコンテンツはいっぱいあるんですけど、やっぱり楽曲数自体が増えてきたので、アイドル戦国時代みたいに誰もが参入できる時代になっていて、いい意味でも悪い意味でも裾野が広がってきていると思うんですよね。

ミト例えばね、田淵くんが「Rising Hope」(2015年にリリースされたLiSAのシングル)を作ったときって、あれはまさに読解力のあるチームが機能した結果だと思うんですよ。それこそ田淵くんという、バンドとして活動し続けている人の尋常じゃないプレッシャーと熱意が打ち込まれていたから強烈に届いたし、それが現場のディレクションにも繋がっていったんだろうなって。

田淵当時LiSAチームにいた山内(真治/アニプレックス所属のプロデューサー)さんのディレクションは的確だったし、堀江晶太という天才を引っ張ってこられる人脈もありましたよね。あとLiSAちゃんのポテンシャルがめちゃ高いから、周りも「頑張ろう」って思えたし、彼女にストーリーがちゃんとあるから曲も歌詞も書きやすかったんです。「Rising Hope」は僕自身も好きだしいまだによく褒めてもらうんですけど、あれはやっぱり僕だけの力ではなくて、晶太くんの力だし、LiSAちゃんの歌の力だし。2番以降のラップのところをOK出してくれたのは山内さんだしね。「わかりにくいけど俺がOKだからOK」って(笑)。

ミト作家も周りのスタッフも、向かっているベクトルがブレていないものがどの時代でもいいと言われるんだなって思います。花澤さんも……って山さま(山内)贔屓になっちゃうけど(笑)。花澤さんは、作品の読解力もあるし、呼んだら100%勝ちじゃんっていう北川(勝利)さんという人と組んだけど、その舵を取れた山さまみたいな人がいないと当時はできなかったんじゃないかなって思うし。

いわゆるストーリーボードを描ける人ですよね。

ミトまさにそうね。そういう人がメーカーには必ずいたし、そこで育てられたタレントはブランディングもしっかりしているんだよね。そもそもアニメのコンテンツってブランディングがしっかりしていなければダメじゃないですか。コンテンツを根底からわかっている人ならば、むしろそこで余計なことはしないんですよね。

田淵もちろん信頼できるプロデューサーが絶対にいないといけないわけではないんですよね。そこは人に頼るってことでいいと思ってて。もしかしてディレクターじゃなくて宣伝の人のほうが熱意が尖っていればその人の意見に従って、みんなでいいものを作れればいいと思うし。曲もシンガーもスタッフも増えてきてポテンシャルの純度が薄まった今、別に作家が音楽的に暴力を振るう現場があってもいいと思うんですよね。「このコンテンツだったら僕、全然時間いくらでも使ってやります」って熱意がオーバーヒートしている人に信頼して任せるのもいいと思うんです。

ミト現場での作家でいうとどのあたりの子がそうなりそうかな?

最近だと「Re:ステージ!」での伊藤 翼さんの、コンテンツやアーティストに食い込んだソングライティングが印象的ですね。

田淵たしかに、彼はそうね。人柄も良いし、翼くんに頼まれたらやろうっていう人もいっぱいいるから。あの人は音楽レーベルの人じゃなけど、彼の熱意がとにかく強いからあれだけの楽曲を作れるんだろうなって思うし、それを信頼できるプロデューサーがいるから、ああいう素晴らしいコンテンツになったんでしょうね。

そうしたコンテンツを背負う若い才能がもっと現れてほしいと。

田淵たしかに若手でそういう人がいてくれたら貴重かなって思うんですけど、それこそミトさんみたいに良い時代で育ってきた人でもいいのかなとも思いますけどね。というか、アニソンに限らず「シーン全体が飽和してきているよね」っていう印象を持たれると、若手はやがてアニソンじゃないシーンにいくような気がするんですよね。

ミトというか、でもそれはもうすでにあるよね。

田淵半分アニメですけど、VTuberとかもそうですし、あとは普通に自分でバンドを組んでデビューするし。そもそも飽和しているシーンに有能な若手って来ないと思うんですよ。「俺もアニソン書きたい!」っていう時代は終わっていて、そこでなお来る人ってマジでアニソンが好きな人だからそれはそれで救いで。翼くんみたいな有能な人がいてラッキーですけど、それは今後減ってくると思うんですよね。それならミトさんみたいに長く業界を見ていた人のほうが向いていると思うんです。

ミトとはいえ令和に台頭する若い子たちにも出てきてもらわないとね。私たちのときも、2006年に爆発的に起こったアニソン周りの強烈な個性というのが、本当にあちこちでビッグバンのように起きていたんだよね。あれがあったから自分たちも負けたくないと思ったし、あのビッグバンのどこかに手を伸ばしたいと思っていたんですよ。私もそういうものをいっぱい見てきて、極端な話その残り香で今もやってきているから(笑)。

田淵話をしていて自分でもなんとなくまとまってきた感覚はあるんですけど、それこそ作家ひとりが大部分を書くという、例えばWake Up, Girls!で田中(秀和)くんや広川(恵一)くんが大多数を書いたみたいに、ひとりが全曲書くみたいなコンテンツが出てくると面白いなと思っていて。そう思うきっかけがあるんですけど、渡辺 翔さんがCYNHNというアイドルの曲をアルバム(2019年にリリースされた1stアルバム『タブラチュア』)の全曲中9曲ぐらい書いていて、それがむちゃくちゃ良かったんですよ。それには渡辺 翔さんがブレインになって、提案もしてコントロールした部分もあるんだろうなって思うんですけど、それこそリステで翼くんがやっていることってそうだと思うんですよね。

「BanG Dream!」でのElements Gardenの立ち位置とかもそうですよね。たしかにそれでサウンドとしても芯が1本入るし、作家側からの熱量も伝わるという。

田淵そういうコンテンツは今ありなんじゃないかなって思っていて。作家の音楽的暴力を振るうというのが(笑)。

ミトそれは田淵くんがやっていたことだよね、『夜桜』でもう(笑)。
(※コミックス「夜桜四重奏~ヨザクラカルテット~」の10巻限定版には田淵が楽曲を手がけたキャラクターソングCDが同梱されている)

田淵その節はお世話になりました(笑)。別に作家が偉そうにしろってわけではなくて、アニメファンにもアニソンファンにも裏切らないようなことを作家が提案できるような気がするんですよ。

やはり作家が発信できる、モチベーションが持てる現場が必要であると。

田淵そういう場が少ないからみんなソロユニットを始めるんですよね。ebaくんがcadodeを始めたのもそうなんじゃないかと思うし。モチベーションの矛先が向けやすい、音楽的なポテンシャルを発揮できるというのが、アニソンという現場じゃなくなってきていると思うんですよ。

作家からバンドなりソロプロジェクトへというのは、おふたりとは逆のステップの踏み方ですよね。

田淵若手の子たちって、アニソンを書きたいと思って事務所に入ってめちゃめちゃコンペに参加して、そのコンペに勝ち抜いたアニメのタイアップがバズらなければ3ヵ月で聴かれなくなるんですよ。そうなっちゃうと「俺のやる気はどこへ?」となる。そういう未来の金の卵はゴロゴロいるから、それを引っ張り上げて育てる存在がいたほうがいいと思うし、昔だったらそういうプロデューサーがいたんですよね。もちろん、何も10年前と同じになれとは言わないし、今の、令和なりのやり方があると思うし、アニメのことをいちばん考えているのが作家なんだというのが今後証明されていけば、また10年前とはまったく違う形でアニソンが元気になるかもしれない。

いい音楽の作り方の、まず検索条件を変えてみようと。

田淵また最初の話に戻りますけど、「Dill」のときみたいに有名な人も書いてくれるんだっていうアニソン作家フィーチャー至上主義というのは崩壊しているので、そうなったら別のやり方で転換点を起こさなくてはいけないと思う。

ミトそれはジャンル的なものでもあると思うんだよね。「ヒプノシスマイク」なんて私は結構な目からウロコだったんですよ。声優さんたちにあれだけハードコアなラップをちゃんと叩き込ませるという、あの制作チームのブレイクスルーさせたいという気概が出ている気がしますね。

たしかに「ヒプノシスマイク」はアイデアのフレッシュさとセールスの双方でのインパクトがものすごかったですね。

ミトあれは革命でした。あれを思いつけなかった自分が超ショックでしたもん。そもそもヒップホップのテクスチャーの使い方は、声をチャームにしている声優さんたちにうってつけだったっていうか。

ああいうまだまだフレッシュな方法論はジャンルとしても存在しているはずだと。

田淵だからまだチャンスはあるし、活かし方はあるはずだし、アニソンシーンや声優シーンにしか持っていない強みってあるはずだから、そこを今一度見つけて伸ばしてっていう期間でもあるんじゃないかなと思う。

そうした令和への希望というのを見つけていこうというのが今後の課題ではありますよね。

ミトそこは考えれば考えるほどキリがなくなっちゃうんだけどね。

ある意味俯瞰してお話を、という一方で、やはりおふたりの周囲で巻き起こっていることでもありますからね。

ミトちょっとした身辺整理のようでもある。自分で整理をしているために話しているのが申し訳ない(笑)。

田淵なんだか自分だけ話して満足しているみたいで(笑)。

ミトそうなるとあまりにもおこがましいというか、やっぱり言葉は選んじゃうね。

田淵でもふと思ったんですけど、逆にバンドとしても俯瞰して、距離を持って見ているんですか?

ミト自分が?

田淵そうですね。バンドマンとしてのミトさんと、クリエイターとしてのミトさんは別人格なんですか?

ミトそうね……作家として、自分が伸ばせるところをアニメやコンテンツにトランスレートするっていうか、吐き出すことにおそらく私は長けていると思っているの。ただそれはあくまで作家という視点で見ているのはあると思うんですよね。で、バンドはというと、本当こんなこと言ったらアレですけど、エゴでいいんです。

田淵うん、わかる。

ミトエゴを出し切らないと作家業に専念できないんですよ。

当然かもしれませんが、バンドとしてのソングライティングと提供もののソングライティングはやはり違う?

ミトそこはすごく、完全と言っていいほど分けているかも。もし「クラムボン的な曲を書いてくれ」と言われれば出せるけど、僕はタレントさんによほどのことじゃないと自分のカードを使おうとは思わないです。というか作家って、そのコンテンツやその人に対して読解力が必要なんですよ。作家でエゴを出すのはまた違うと思うんだよなあ。だからエゴという点では、田淵くんが言ったように別のところにベクトルを向けたがるというか、向けて発散している人のほうが循環しやすいと思う。より読解できる器が出来るから。

田淵とてもわかります。僕も完全にそうですね。僕が「アニソンが危ないからなんとか盛り上げなきゃいけないんじゃないの?」って言っても、ユニゾンでそれをやろうとは思わないです。それは別だもん。僕らは僕らで守らなきゃいけない客がいて、彼らには「別にアニソンのこと知らなくていいから」って言うのが僕の役目だと思っているので、そこは変わらずというか。元々、人格を使い分けられる人間でよかったなって思うし、年を取ってだんだん整ってきた感覚はあります。このときはこの人格、って使い分けることで守れるもんだなってわかってきたし、というぐらい僕は分けるべきだと思う。

ミト関わっているものに対して丁寧に作れるいちばんいい方法がそれなのかなと。

田淵バンドのファンとアニメのファンって別なので、ちゃんと使い分けることが双方落ち着くというか、作家が両方で「同じ音楽なんだから混ざりましょうよ」っていうのは、僕はみんな崩壊すると思っていて。

ミトまさに。バンド上がりの人たちがいわゆるアイドルとかをプロデュースするときに、そこのカラーをアイドルに入れていいべきなんだろうか?っていうケースは結構あるんですよ。それは、使い方を間違えると各々自滅するんですよ。

田淵そうなんですよ。両方のファンが嫌がる。「君はユーザーを一種類と思ってないかね?」っていうのはありますね。

ミトだからそれは私も田淵くんも「分けている」って自覚的なものになる以前に、丁寧に仕事をやりたい、自分のやれることをちゃんとやりたいってなったら自然になっていくんですよ。

田淵現場によって身の丈っていうのがあって、バンドのときの身の丈はこう、アニメのときの身の丈はここっていう、現場での態度の取り方含めて全部違うんですよね。そのほうが、現場も楽しくなるし、自分にもメリットがあるって粛々とやってきたら、そういういい意味での二重人格が出来上がったという(笑)。できちゃう人でよかったなって。

ミト逆にTom(-H@ck)くんとかは私から見てもすごいと思う。MYTH & ROIDをやってOxTをやって、作家業もやるじゃない? あの頭の切り替えというか、柔軟さはすごい。

田淵あれはすごいと思うしできないです。

ミト作家として強烈なジェラシーを感じます。やっぱりさあ、今年の“アニサマ”で放課後ティータイムの「GO! GO! MANIAC」とかやられた日にはさ、世の中変わるわ!(笑)。

田淵あの曲で時代が変わった気がしますね。

ミトもう根底から違うというか、時代が生んだみたいな存在だもん。ごめんなさいね、愚痴みたいな言い方になるけど(笑)。

いえいえ。そうしたニュータイプ的な例外も業界には存在すると。

ミトそういうバンド的な発信の仕方で、アニソンに踏み込んでいくようなことがあってもいいと思うんだよね。fhánaなんかは異常なぐらいバンドとしてのポテンシャルを持ちながら、どこにいっても柔軟に活動しているじゃないですか。あれはあれで偏屈なぐらいの佐藤(純一)くんの強い思い入れもあると思うし

一方で、fhánaは今年に入って佐藤さんが楽曲提供を活発化させて、和賀(裕希)さんもSHIROを結成するなど自身の音楽性を展開しているのは興味深いですね。

田淵結局二足のわらじ三足のわらじを履く人って、お金を稼ぎたいとか、「音楽家です」って言いたいわけではなく、ただ単に音楽をやりたいだけだと思うんですよ。僕はそういう人たちが長く生きながらえる世の中であってほしいと思っていて、そのためのモチベーションコントロールは大事だと思う。それがアニソンシーンではできなくて、余所のソロプロジェクトでやっているのを見ると、「貴重な才能が流出してアニソンシーン崩壊しちゃいませんかね……?」って思ってしまうんですよ。純粋に音楽をやりたい人たちの気持ちを高い純度で保ち続ける、そんなシーンに僕はしないといけないと思っている。そのほうがいい音楽ができるんだから。

目的はいい音楽を作ることで、そのためのモチベーション作りと、受け皿となる業界が必要なんだという結論ですね。

田淵作家の言うことを聞けってわけじゃなくて、モチベーションを維持できる仕事にしましょうよっていうことだけなんですけどね。変に僕が言っていることを曲解するとアニソン作家の言うことを聞けって話になりそうですけど、そういうことではなくて、楽しくやり続ける環境作りから始めませんか?っていう。

現在のアニソンシーンの様々な層へ届く、大きな提言となりましたね。かなりのボリュームになりましたけど(笑)。

ミト届くぐらいには、こちらも丁寧には喋ったつもりですよ(笑)。業界に対して変にアゲインストするためにじゃないよという。

田淵あとはリスアニ!さんでポップにまとめてください! 未来ある感じに!(笑)。

Interview & Text By 澄川龍一

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