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INTERVIEW

2021.12.04

【特集】負の感情すら楽しめるように――デビューから10年以上経った今「神聖かまってちゃん」という存在についての子とmonoに話を聞く

【特集】負の感情すら楽しめるように――デビューから10年以上経った今「神聖かまってちゃん」という存在についての子とmonoに話を聞く

神聖かまってちゃんインタビュー、後半はバンドそのものについて、の子とmonoの2人に突っ込んでいく。

■前半はこちら

2009年以降、このバンドが現れ、その異様な存在感に驚いた音楽シーンは彼らに様々な形容を試みた。「明日のない日々を生きる若者の音楽」、「インターネット世代の寵児」、「メンヘラバンドのカリスマ」……だいたいこんな論調だったはずだ。それも時間が経つにつれて小康状態となり、かまってちゃんはメジャーレーベルで活躍するプロとして続いてきた。しかしこのバンドの歌は、いつもスレスレのところで生きる心理を歌にしてきていて、そこはずっと変わらないし、それでこそかまってちゃん!だと思う。そしてそれは「僕の戦争」の奥底にも、地続きであるものなのだ。

思えば、デビューからすでに10年以上。現時点での気持ちをストレートに語ってくれた。

「神聖かまってちゃん」というバンドについて

――インタビューの後半は、まずお2人それぞれに、好きな、あるいは思い出深いアニメソングを挙げてもらいたいです。

の子 けっこうあるなあ。『ドラゴンボール』とか言っちゃうね、僕。

mono 『ドラゴンボール』はやっぱり浮かぶよね。アニメの曲って、子供のときが一番印象に残ってるもんだと思う、思い入れ的なものでね。“つかもうぜ”という、あの曲が好きというか、色々思い出させるというか(「摩訶不思議アドベンチャー」)。

――その世代であるということでしょうね。

mono そうなんですよね。好き嫌いのレベルじゃないというか。

の子 あと、パッと出てきたのは「アラレちゃん音頭」と……「熱血!!勇者ラムネス」だっけ?それを昔、(ライブ開始時の)SEとかでも使ってたんですよ。『姫ちゃんのリボン』とか、最近は「恋愛サーキュレーション」も素晴らしいと思います。ものすごくキャッチーで。あとは……『マクロスF』や『カウボーイビバップ』だったり、菅野よう子さん、僕は好きですね。尊敬してます。メロディメイカーとして、すごいですもん。

――アニソンとなると、やっぱり少年時代までのものが多くなるんですかね。

の子 そうですね。でも僕なんかは、ニコ生とかツイキャスで配信するたびにリスナーに色々聞いてるんですよ。リスナーは情報早いんで。『鬼滅の刃』とか、僕、最初、「おにめつのは」って読みましたもん、流行る前に。「めつ」しか合ってない。僕のアニメは多分『あずまんが大王』で止まってますね。秋葉原まで行ってDVD買ったりしたし。

mono あとは……『ルパン三世』はいまだにに好きですね。今もやってるからね。やっぱり、おっさんなんですね。

の子 昭和のおっさんの感じですね、多分。

――(笑)。では、ここからかまってちゃんというバンドについて話を。2人はバンドを立ち上げたメンバーということになるんですか?

mono 僕は立ち上げたわけではないですね。立ち上げたあとに入った、みたいな感じです。

の子 最初の結成時には、ほかのメンバーがいたんですよ。僕がいて、ギターがいて、ベースがいて。ドラムはいなかったのかな?僕は18歳くらいで、オリジナルバンドのときはインターネットの掲示板でメンバー募集して。monoくんとは元々幼稚園からの知り合いで、(千葉県)柏にある僕らが使ってたスタジオでたまたま会ったんだよね。「おー、久しぶり」って。その縁で、最初「怒鳴るゆめ」のデモを渡したら「なんだかよくわかんないけど、良かった」みたいな感じで返事がきて。当時ガラケーでメールもらったときね。で、「一緒にやるわ」みたいな。最初、(monoは)ドラムで入ったんだよね。それが18歳か19歳かってときですね。そこから元々いたメンバーは離れて、サポートだったり、ちばぎんだったりが入って。

――で、みさこさん(ドラムス)が入って?

の子 みさこさんが入ったのは22、23歳とかですね。ほんとに基盤がもう出来上がって入ったんで。良いとこで入ったと思います。そこから「出れんの!?サマソニ!?」(サマーソニック出演バンドオーディション/2009年に出演)があって、そのままメジャーデビューと、トントントンって。

――その頃には「神聖かまってちゃん」という名前になってたんですね。

の子 ああ、そうです。そういえばちょうど昨日、うちのファンがですね……うちら、ずっと配信やってるじゃないですか。今だったらニコ生とかツイキャスとかがメジャーだけど、当時はPeerCast(ピアキャスト/ライブストリーミング配信ソフトウェア)というスラム街があって。そのときの配信を録画してくれた方がいて、それをTwitterのリプでたまたま知ったんですけど、懐かしすぎてずっと観ちゃったんです。コメントとか僕の様子とか含めて、ほんとスラム街でしたよ。

mono 今(の自分たちの配信)はめちゃくちゃ平和だよね。

mono

の子 そんな感じで僕は2008年から配信をするようになって……配信をやりつつライブやって、それでほんとに楽しかったんですよ。自分らは突き抜けてるっていう確信があったんで。実際それは結果として出たんです。僕もめちゃくちゃやったり、スタジオ配信やったりという日々だったんですけど。

――そう、かまってちゃんの最初の頃は、色んなことを生配信をするバンドということでも注目されてましたね。

の子 PVを自分らで作って、YouTubeに上げて、そんなこんなで話題になっていって。それで劔さん(劔 樹人/初代マネージャー)が見つけてくれて、パーフェクトミュージック(事務所)に入って、メジャーデビューして……と、トントン拍子ですね。

――その頃「こういうバンドになっていけたらいいな」という目標って、何かありましたか?

の子 目標というか、なんだろう……自分にしかない自分、という感じですね。属したくないんですよ。常にあるのは。カルチャーとか、なんでもいいんですけど。個人でありたいというか。それはもうバンドでも、僕自身も、神聖かまってちゃんでも。個々人でありたいんです。芸術家って個人であるべきだと、僕は思ってるんで。

の子

――なにかの中の1つではなくて、独立した自分でないと、ということですね。

の子 そうですね。確立したなにか、という。なかなかそういうのも、時として難しい場合、ありますけどね。僕にしても僕らにしても、仕事で、社会人としてやってるんで、色んな関係があるんですけども……そことのせめぎ合いとか。

――そう、まさにそのせめぎ合いをこの10数年やってきたんですよね。

の子 やってきた。上手いことやったり、やれなかったり、ですよね。

――ポップな曲を作ったりもしたしね。「フロントメモリー」みたいな。

――monoくんはどんなバンドになっていくだろうと思ってました?その頃。

mono いや、何も考えてなかったです。ほんとに。「とりあえずついていくか」っていうくらいの気持ちで。まあ今も変わらないんですけど。

――じゃあ、ついていくだけの才能を持っている人だとは思っていたんですね?の子くんのことを。

mono そうですね。それはもちろん。まあ、才能……ここまでくると、才能とかのレベルではないですけどね、正直。そういう感覚では、もう、ないんで。ただ「助けられるところは助けていかなきゃな」という気持ちはいまだに常に持ってます(笑)。

次ページ:僕ができないことを(の子は)全然やるんですよね。(mono)

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